メッセージ   2012年 1月22日
 「いちじくの木の下で」 ヨハネの福音書2章43〜51節

ナタナエルとは「神の賜物」という意味である。

主イエスが最初に彼を見たのはいちじくの木の下であった。古来いちじくの木の下というのは、祈ったり瞑想したりする場所であった。ナタナエルはいちじくの木の下で祈っていたのかもしれない。あるいは聖書を読んでいた…イエス様の言葉から考えると、旅の途中でヤコブが夢を見たというあの創世記の箇所を…という解釈もある。あまり祈っていなかったヤコブでさえ神様を間近に感じる夢を見たのなら、自分はもっと近くに神様を感じられるのでは…そんな瞑想に浸っているところにイエス様との出会いがあったのかもしれない。

熱心な祈りは記憶され、記録される。聖書自身がそうである。被災地の小学校の校長でキリスト者である方の文章に「学校で1日3回、3年間祈り続けた」という一節があった。しっかり祈ったからこその思い、そして神様の働きを見出す信仰の目が養われていたことがうかがえ、感銘を受けた。かつて私は、勤務していた学校で同僚のクリスチャンと毎週祈る機会を持っていた。25年後の今、再びその学校で働いているが、そこには多くのクリスチャンとの出会いが備えられている。祈ったことへの神様の導きに驚きを覚える。しっかり祈ることは、与えられた結果を神様の導きとして受け止めることに役立つ。


 祈りは神様からの賜物、まさにナタナエルである。私たちもいちじくの木の下で、しっかり記憶できるように祈りたい。あなたにとってのいちじくの木の下とはどこだろうか。