メッセージ   2012年 1月8日

「桃李(とうり)言わざれども下(した)自ずから蹊(みち)を成す」 

 (ヨハネの福音書1章1〜5節

少々難解なタイトルをつけた。桃や李(すもも)は自ら語ることはしないが、甘い香りや味に引き寄せられて人が集まり、その木の下には自然に道が作られていく…という中国のことわざである。

新聞記事からの紹介で恐縮だが、歌手の稲垣潤一さんを見出してメジャーデビューさせたプロデューサー氏が、記者の取材に対して引用した言葉である。もしもあの時自分が見出していなくても、彼の歌声を時代が必要としていた、他の誰かが彼を見出していたであろう…と。

人生には、もしもあの時こうだったら今頃は…という分岐点がある。自らの歩みを振り返るとき、もう少し早く…だったらきっと牧師をやめていただろう…と思われる決定的な瞬間(としか表現のしようがない分岐点)が私にはある。しかし…牧師としての私を神様が必要とされていたのであれば、どんな形であってもやはり私は牧師として立てられていたのではないか…と上の言葉を知って思わされた次第である。

光としてこの世に来てくださったイエス・キリストは、それゆえに世の人々を引き寄せるものであるが…そのために神様は私たちの働きを、会の存在を必要としておられる。道をつくる働きに、結果として携わることができるなら幸いである。