メッセージ  2011年12月24日  クリスマス礼拝メッセージ
 「飼い葉おけのキリスト」  (ルカの福音書2章8〜20節)

「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」ショッキングな表現である。クリスマスの原点であるイエス・キリストの誕生は、居場所がないという大変さみしいものであった。

人はみな幸せになりたいと思っている。自分らしく生きることが幸せにつながると考えている。しかしそうもいかない現実がある。災害、事故、病気…そして死ぬこと、お金のこと、人との関係…悩みは尽きない。人は幸せを妨げるこれらの原因を取り除こうとがんばる。

災害はある程度の努力や工夫で減らすことはできる。事故や病気も同様である。しかしなくすことはできない。そして死から人は決して逃げられない。また、自分らしく生きようとすると人間関係がうまく行かなくなる。人間関係をうまく進めるためには、時には「自分らしさ」だと思っている部分を押さえる必要がある。

しかしその一方で、幸せを妨げると思われる出来事の中から、またさまざまな困難の中から、生きる希望や勇気が生まれてくることもある。震災と原発事故はたくさんの悲しみをもたらせた。今なお困難な状況は続いているし、癒えない悲しみは数えきれない。しかし、そんな中からも「絆」の大切さ、生きる喜びや希望が伝えられている。人と人との関係によって、私たちはストレスを覚え傷つくことも多いが、反対に生きる勇気が与えられ心の傷も癒されていくことも少なくない。

 ブータン国王の来日が話題となった。ブータンの国民と日本人…私たちの方が経済的には豊かなのだが、幸福感はブータンの方がはるかに高いという。幸せの感じ方は人それぞれだが、もしかしたら私たちは的はずれの幸せを追求してしまっているのではないだろうか。原発事故はその典型かもしれない。そこからの解放が、本当の幸せや自分らしさにつながっていくのではないか。

高齢化社会が進んでいる。一方で「早く!」という時間の流れは社会的に弱い人を追い詰めてしまう。居場所を奪ってしまう。居場所がない…言い換えれば必要とされていない状態でもある。マザーテレサは「人間にとって一番ひどい病気は誰からも必要とされていないと感じることです」「私たちは忙しすぎます。微笑を交わす暇さえありません」と語った。クリスマスイブの新聞のコラムには「心と時間のささやかな余裕を互いに贈りたい」とあった。早さや大きさ、強さにだけ価値を見出すのではなく、困難や弱さの中にある価値、小ささの中の価値に気づくゆとりや価値観が持てるなら、私たちはもう少し違った幸せを見つけられるのではないか。

クリスマスカラーの赤と緑はイエス・キリストの十字架の血と永遠の命をあらわしている。幸せを妨げる死の問題を取り去ってくださったしるしである。また飼い葉おけでの誕生は、私たちが人間関係に疲れ、時に居場所がないと感じるその悲しみを共に担ってくださる方であることを表わしている。

羊飼いは社会では低く見られていた。裁判で証言に立てなかった。そんな人々の証言を聖書は記している。これが神様の視点である。そのような視点を持って生きるなら、私たちは自分の小ささや無力さを見て悲観する必要はない。クリスマスがもたらせてくれる、困難や弱さの中の幸せという新しい価値観を持つことができる。イエス・キリストを迎える心の場所を空けることで、クリスマスの幸せをあなたにも…。