メッセージ  2011年12月11日
「我らと共に、神が」(マタイの福音書1章23節

 先週の日曜日は突然の仕事が入り、礼拝メッセージが担当できなかった。週末は持ち帰った仕事と向き合いつつ、その突然の仕事のために祈り続けた。祈るしかない…そのような状況の中で自分でも驚くぐらいたくさん祈った。祈りに集中しながらもその一方で「相変わらず、困難にぶつかった時にだけこうして懸命に祈るなあ…」と少し自分がいやになった。と同時に、改めて「困難は私にたくさんの祈る時間を与えてくれる。神様と自分とを近づけてくれる。」とも感じた。

 さて、祈って迎えた日曜日、詳細は紹介できないが、問題と向き合っている中で、そこに一緒に立ってくださっているイエス様の存在を強く感じた。インマヌエル=「神が共におられる」を強く意識せずにはおれなかった。神の声が聞こえてきたようにさえ感じた。

 聖書の信仰を抜いて考えるなら…心を集中させた結果、目に見えない力が支えてくれたような感性がふくらんだ…といった表現になるのかもしれない。しかし気づいた。「神が共におられる」…これは人間の側が熱く祈ったから共におられるのではない。私たちの熱心さやがんばりとは関係なく、神様はいつも共におられる。ただ、そのことに私たちが普段あまり気づいていないだけのことなのである…と。

 その意味において、何もないときにこそ、感謝や讃美=祈りを大切にしたい。インマヌエル…これは「我らと共に、神が!」(with us GOD)という驚きをこめた表現なのである。神が共にいてくださることに感動を覚えるアドベントとなりますように。