メッセージ 2011年11月20日
「目からうろこの…」(使徒の働き9章1〜19節a)
「目からうろこが落ちる」という言葉がこの聖書の物語から生まれた。パウロはここを境にキリスト者になった。パウロの人生、キリスト教の歩み、そして世界の歴史をも変えることになった出来事だといえる。
パウロを照らした突然の光…光は明るく照らすことと共に人をくらませ打ち砕くという一面を持つ。パウロはこれまでユダヤ教の歴史と伝統の上に立って、神様のために=自分は正しいという確信を持ってキリスト者を迫害してきた。しかし、光に打たれ視力を失うと同時にこれからの道を示された。実は信仰とは自分の力を失うことから始まる。謙虚さと確信のバランスが大切である。
一方でアナニヤという人物にも神の声が届き、パウロのところへ行って手を置いて祈りなさいと告げられる。アナニヤにとっては信じがたいことだったが、彼は出かけた。自分を迫害するためにやってくる人のところへこちらから出かける…もしかすると捕えられ牢屋に放り込まれるかも知れないのに…。彼は聖書において他には登場しない。ある意味、地味で目立たない存在である。しかしアナニヤなしにはパウロは生まれなかった。神様は一人ひとりにかけがえのない尊い働きを与えてくださっている。
アナニヤが神様の言葉の通りにするとパウロの目からうろこのようなものが落ちて見えるようになった。うろこ…魚や爬虫類などの身を守る硬い物である。それが落ちた。「自分が…」という力みや気負い、プライドが消えて、新しく生まれ変わったことを表している。パウロはここから伝道者としての新しい人生を歩み始めることとなった。
要らないうろこは落として、謙遜になって神様と共に生きることができますように。
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