メッセージ  2011年11月13日 

 
「主が共におられる」 創世記39章2〜3節

 エジプトで奴隷の身分として過ごした13年間は、ヨセフの人生においてはまさにどん底であった。異国での身分の辛さもさることながら、兄たちによって売り飛ばされたという精神的なショックもあったことだろう。しかし聖書は「主が共におられた」と語る。そしてヨセフは仕えていた主人の家で重んじられるようになる。

 ところが、その主人の妻に陥れられ、彼はいわれのない罪により牢獄での生活を余儀なくされた。二重三重の苦しみへと追いやられたのである。しかし、なおも聖書は「主が共におられた」と語る。牢獄でも彼は一定の責任をになうという立場が与えられたのである。

 やがて夢を解き明かすという彼の特別な能力がパロの目にかない、ついにはエジプトの大臣へと取り立てられる。さらには、自分を売った兄たちが、弟だと気づかぬままにヨセフにひれ伏すことにもなる。まさに波乱万丈の人生である。神様の壮大な計画…数々の苦難は大臣になるための訓練の期間…と言ってしまえばそれまでだが、当のヨセフにしてみれば、何度も悲嘆にくれ、人生をのろったかも知れないか。

 それでも彼はあきらめることなく、神様を信頼し続けた。そして改めて彼の人生を眺めてみるとき、私たちは、苦しいときにこそ「主が共におられた」という事実に気づかされる。そしてこれは私たちの人生においても同じことが言えるのではないだろうか。