メッセージ  2011年10月23日        

   「破れの中から」(創世記 28章1〜5節)

  神の計画に反して、長男のエサウに祝福を与えようとしたイサクの行為をとどめたのは、妻リベカと次男のヤコブによる欺きであった。親子・夫婦間のなんとも言えない微妙な駆け引きに私たちは戸惑うが、結果として神の祝福はヤコブに受け継がれた。

だまされたことを知ったイサクは、しかしすぐ気を取り直し(という表現が適切かどうかわからないが)改めてヤコブに祝福を与えると共に、妻リベカの提案に沿った形でリベカの故郷へとヤコブを送り出した。彼自身が自らの失敗に気が付いてのことだったと読める。

このあとイサクはほとんど聖書に登場しない。ただ最期の場面だけが次のように記されている。「イサクは息が絶えて死んだ。彼は年老いて長寿を全うして自分の民に加えられた。彼の子エサウとヤコブが彼を葬った。」(創世記35:29)家庭をうまく治められなかったと思われるイサクだったが、仲たがいしていた二人の息子に見守られるようにして穏やかに生涯を閉じることができたのなら、それはそれで幸せだったと言える。

イサクの家族は、人の悪巧みや間違いを越えて神様の計画が進んでいくことを私たちに教えているようである。私たちもそれぞれの人生において過ちや失敗を繰り返してきた。そして私たちの教会もこれまでの歩みにおいて破れを抱えている。しかしそのことを通して神様の深い愛やご計画を知らされるのもまた事実である。