大久保地車 大久保のだんじりは大正七年岸和田宮本町新調
大正十年大久保が六千五百円で購入
宮本町の先々代地車です。
大工棟梁は小川喜兵衛
大市こと川岸氏の手も入っていると聞きます。
彫物責任者・上間庄平
助は伊藤松吉等
詳細は大久保地車紹介のページへ

彫り物は大屋根枡合が曽我物語から正面「十郎、五郎之勇戦」 縁葛「支那之二十四孝」、小連子に富士之巻狩り、土呂幕「難波戦記」正面は大坂夏之陣から「薄田隼人徳人徳川本陣討ち入り」

見送りは大坂夏之陣

中家で見つかった「熊取谷壇尻書上げ」には天保十二年当時、文化二年に完成しただんじりを保有していることが記されています。

桜井古文書によると岸和田市沼町(沼村)の車楽は安政二乙卯歳二月(1855)に熊取村の大久保から(価格不詳)譲りうけて、これを餌差町(現筋海町)桜井新六藤原朝臣が箕の甲その他を岸和田風のだんじり形態に若干の修理をした。
このだんじりを明治三十一年(1898)まで四十二年間、大・小の修理をしながら曳き続け、明治三十二年のだんじり祭り終了後、情涙のうちに破棄処分にしたと言われています。

昭和六十年の大久保地車
大久保地車庫 大久保のだんじり小屋は、駅前から永山病院前に向かう新駅前通りからネゴロ衣料前を右折した大久保公民館の隣にあります。
一見してそれとわかるシャッターが目印です。
又、祭礼当日は大久保公民館前が大久保祭礼本部となります。
だんじり小屋は、平成十二年度に行われた大久保公民館改修工事の際、外壁を塗り直しました。
平成十六年にはシャッターを前面改修し軽量シャッターから重量電動シャッターに変更されました。
現在の大久保地車の大屋根は昭和六十一年からで三代目となります。資料をお持ちの方は、微妙に違うので確認してみてください。