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七山のだんじりは大正十一年八月岸和田筋海町新調、昭和七年頃(大正末期から昭和初期説あり)七山購入 筋海町の先代地車です。 筋海町で新調された数年後に紀州街道の南町辺りの電柱に激突し、正面葺地を割り、怪我人を出したのがきっかけで昭和七年頃(大正末期から昭和初期説あり)に七山区が購入、筋海町の幾人かの古老は、この名地車を手放したことを悔やんでいるといわれています。 大工棟梁は久納久吉 脇棟梁久納幸三郎 彫物責任者は開正藤 西本舟山、黒田正勝、正藤師の息子である開生aの手も入っていると言われています。 彫り物は大屋根枡合は神話伝説より正面は天の岩戸、右は素盞鳴尊 八岐大蛇退治、左は日本武尊 熊襲征伐 小屋根枡合は源平盛衰記より正面は頼朝旗揚げ山木館夜討ちの図、右は大江山酒盛りの場、左は安宅の関 弁慶義経徴打 勾欄は花鳥風月 松良の右は神功皇后応神天皇平産す、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る 縁葛は富士の巻狩りより正面は狩場風景、右は頼朝本陣褒賞の場、左は仁田四郎猪退治 大連子は太閤記より正面は日吉丸小六矢矧橋の出会い、右は藤吉郎初陣、左は尼ケ崎危難の場 小連子は太閤記より正面は日吉丸尾張中村の場、右は藤吉郎墨股城を築く、左は築城用材調達の場 土呂幕は豊臣軍記より、正面は大阪冬の陣・真田大助初陣、右面は九州征伐、加藤清正・新納武蔵守の血戦、左面は賎ヶ嶽の合戦、秀吉本陣佐久間の乱入。 見送りは川中島之合戦となっています。 大屋根桝合上部に唐破風という屋根細工が久吾師によってされている。この細工は他の地車には見られない細工です。 中家史料により天保十二年には、だんじりを保有していたことがわかっている。(だんじり完成は天保十年) 昭和五十年代に名工義正師の手により見事に修復されている。 |
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七山のだんじり小屋は七山病院から七山公民館前を抜けてパン屋?を右に曲がったところにある。場所的には見つけにくいが、祭礼当日などは、公民館前の実行の倉庫に置かれることが多いので祭りの時は容易七山地車を見つけることができると思います。 | |
| 七山のやりまわしを堪能したいなら、試験曳き、当日の朝はニュータウンで見てみてはいかがでしょうか? 角の多い新興住宅地の中で七山のやりまわしを堪能できます。 平成十二年度のパレードは七山らしいやりまわしを見せてくれました。 | ||