熊取町大森神社宮入り

大森神社の宮入りは他の地車祭りの地域と違い宵宮におこなわれます。
午後1時より宮一番の朝代区の地車の宮入りがスタートします。
 1番 朝代地車
 2番 和田地車
 3番 大久保地車
 4番 紺屋地車
 5番 五門地車
 6番 野田地車
 7番 七山地車
 8番 小谷地車
 9番 久保地車
10番 小垣内地車
11番 大宮地車

宮入りの時間は朝代の午後1時をスタートに12分間隔で各町がスタートしますが、近年は各町の宮入時間が早くなり各町のスタートが早くなってきています。見物の際には注意してください。
大森神社宮入り順番
大森神社について
 事代主命及び菅原道真公を祭神としており、天保年間に熊取の総社となり、明治六年に村社、明治十年に卿社に昇格し、明治四十一年九月に村門に約五十二社あったといわれる村社や牛神の祠をこの地に合祀し現在に至る。
大森神社本殿の建築宮大工は絹井嘉七、相殿は尾崎杢兵衛、明治時代の名工で明治時代に共に腕を競った。

大森神社と祭礼
大森神社は、「和泉国神名帳」日根郡にみえる、「従五位上大杜(森)社」にあたると考えられている。
中世、熊取庄、雨山明神、野田明神と共に祈雨に霊験のある社として奉祀されてきた。
一時期廃絶しましたが、天正十年(1582)に根来盛重によって再建されました。
祭神は菅原道真、事代主命。
当社の祭礼は神輿に奉仕するものが大声で「ほーわ、ほーわ」と囃したことから「穂輪祭」と俗称され、神輿は紺屋山の御輿松を御旅所として、湊(泉佐野市)の平松に渡御したといわれている。
おそらくは他の古社と同様に、汐掛けに至ったものと思われ、野田明神の氏地を避けて丘陵伝いに大谷池の東の背御輿山にいたる御幸道があったのではないかとみられる。
 大森神社の祭礼は従来六月十二日であったが、明治五年、堺県の達しにより、和泉一の宮大鳥神社祭礼に合わせ、八月十三日と定められる。
その後、明治六年太陰暦から太陽暦に改められに及び、明治九年堺県より「神社祭礼日改定につき達」があり、大森神社の祭礼を八月二十六日から九月二十八日に改められ、神社合祀後も踏襲されている。
 昭和五十八年、泉南地方の秋の祭礼は統一され、以後十月九日、十日の両日になった。
 平成十二年には、国の「国民の祝日に関する法」の一部変更(ハッピーマンディー法案)により体育の日が十月の第二月曜となりそれに伴い秋祭りも体育の日の前の土、日に行われることとなった。