シマノ鈴鹿ロード

オープンM1A

 昨年は、トップにあと一歩及ばず、チャンピオンジャージを逃したクラス。今年も2Hエンデューロとダブルエントリーするので、迷わず2周クラスにした。
 昨年と同じく最前列からのスタートで難なく集団前方でシケインを越える。その後、勢いよく追い抜いていく選手が多かったが、あまり無理をせず集団中程をキープ。
 特に印象のないまま2周目の最終コーナーに入る。長いローリングスタートが終わったといえば言い過ぎかな?
インが密集していたのでアウト側の2番手に移動し、「さあ加速!」というときに先頭のふたりが接触して落車。
避けきれずに、バランスを崩して背中から地面にたたきつけられた。
大きなケガでなかったので、転がっているボトルを拾い、チェーンをつけなおしてトボトボとゴールに向かう。
結果はトップから3分遅れの106位。リザルトを見ると伝説の中村仁さんが2位に入っておられた、一緒にゴールスプリント出来なかったのが残念である。
 メモリしていた心拍計の速度データを見ると47.1kmの次が0kmを示していた。あー、恐ろしい。
 その後救護部に行くと、10人以上が治療のために並んでいた。野戦病院の様相で、擦過傷だけの私は運が良かったと思うべきか。

2Hエンデューロ

 バイクも無事だったので予定通り2Hエンデューロに参加。昨年は11位だったが、6位入賞するには4分以上タイムを短縮する必要がある。期待は昨年のシャープ自転車部メンバー4名に加えて、ピナレロプリンスのA氏が加わった事。少なくとも平均年齢は下がった。私もチームロードに出ないのでこのレースに集中出来る。
 トップのK氏は、第2集団で2周を終える。先頭のBeeCLUBとBALBA CLUBはレベルが違う印象。
第2走者のA氏も期待通りの走りだったが、第3走者の私に回って来たときは完全にバラケた状態。周りの数名とローテーションを組んで気持ち良く走り、SA氏にバトンタッチ。秘密兵器のカードは目立って効果抜群だった。
1時間が経過した時点で電光掲示板に確認したが、10位以内に入っていなくて順位は分からずじまい。
ピットに戻ると、SA氏が戻って来ないという。15分以上経過していたので、トラブルがあったのかと心配したが、しばらくして戻ってきた。SA氏が1周したときに誰も気がつかなかったようだ。
 続いてSU氏が1周を終え、トータル9周をクリアした時点で、残り31分。
その後、1周10分以内のラップを各自が守って、目標の13周を2時間9分でゴール。
昨年は12周で2時間1分だったので、2分近く短縮した計算になるが、結果は12位。
もう一方の自転車部チーム(サユリーズ)も3人で目標の100以内に入って善戦した。

マスターズM30+B

 翌日は、朝から雨。マスターズM30がスタートする頃は小降りになっていたが、路面は油が浮いてスリッピーな状態。 1周目のヘアピンでいきなり1名が落車。集団が団子なので非常に気を使う。
2周目のマウンテンポイント賞も狙わずに集団の中にいた。
 3周目のバックストレートで右が空いていたので加速して2番手まで浮上。この位置をキープ出来れば良かったんだが、さらに右の僅かなスペースを隊列が通り抜き再び集団に埋没。デグナカーブを過ぎて今度は左の空いたスペースから再び前線に浮上。最終コーナーもインの悪くないポジションにつけたが、ラスト300mで前が詰まって身動きがとれなくなり、ゴールスプリントに加わることなく終了。
 結果は3秒差の38位。
1日目もそうだが、力尽きるまで走っていないのでストレスのたまるレースとなった。

ユース7ー9

 最後は息子のレース。昨年と同じクラスだが、最年長だから成績が悪くなるはずがない。今までで最も気楽にレースを見ることが出来、また待たされずに済んだ。結果は36位。
気になったのは、ピットでゼッケン順に整列するルールを知っていながら、前の方に並ばせようとする親が多いこと。
順位にこだわるより、ルールを守ることを教える方が大事でそれが親の務めだと思うんだが。

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