千鳥正宗
文久元年、兵庫県有馬郡高平村木器(こうづき)にて、初代岡村幸平は、醤油醸造、2代目岡村栄吉から酒造業を創め、現在、5代目岡村隆夫に至る。
古くは、「山草正宗」と銘じていたが、大正10年、当主が飲み口の軽やかなほろ酔いの酒にちなんで、「千鳥正宗」に商標を改める。「千鳥」は、縁起の良いものとされ、古くより茶道では、懐石の時、「千鳥」という酒の酌み交わし方がある。正客から亭主へ、次客の更に次客から亭主へ酒を酌み交わしていく。客の一人一人への亭主の心遣いがその中に感じられるのと同時に、客から亭主へのねぎらいでもある。
明治の中頃、現三田市域には、14軒の造り酒屋があり、最盛を誇っていたが、その内の1軒、当酒造場だけが、今なお酒造りを続けている。
「酒造り守りてひとすじ寒にはいる」毎年、冬が来ると、酒造りがはじまり、自ら杜氏となり仕込んでゆく。米、水、人そして、自然の恵みが融合し、自然の力に任せて造り上げられる。
「さんだ」の地名の由来は、市内の古刹、金心寺の国指定重要文化財「弥靱菩薩坐像」の胎内にあった「恩田、悲田、敬田」の三福田を以って三田という…と伝えられ、三田は古くから良質の稲作と深い関わりがあり、また、明治初年、灘の若井酒造が三田の米を元来に用いて醸造した銘酒「牡丹正宗」は、福沢諭吉が自ら味わい、その味を絶賛している。
三田の気候風土の中で育まれた米を使用し、醸した酒は、味わい深く、こくがある。どうか心ゆくまでご賞味ください。
製造工程 |
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洗米→浸漬→蒸米→麹造り→初添→踊り→仲添→留添→上槽→新酒誕生 |

酒造りに入る前に蔵の柱からタンク、道具を洗い、仕込みの準備に入る |

浸漬したお米を蒸す |

麹室で米麹を造る |

櫂でやさしく攪拌する |
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日本酒の歴史 |
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