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◆岸和田の街並み(建築ジャーナル 2001年11月号掲載)

岸和田は、「だんじり祭り」の街であり、歴史と伝統が息づいてる街です。
300年ほど前に、五穀豊穣を祈願して始まったと云われる「だんじり祭り」。
岸和田市民の祭りに対する情熱、こだわり、誇りは並大抵ではありません。
市民のほぼ全員が、岸和田は「だんじり祭り」の街であると意識しているはずです。
それに対し、岸和田が歴史の街であると意識している市民は、かなり少ないと感じます。
街を歩いてみても、歴史を感じさせる風景、建造物はわずかしか残っていません。
それも、旧市街地、城下町の一部分だけです。

近年、行政は岸和田城周辺の景観整備や紀州街道の修景、舗装など、
ごく一部ですが、歴史的街並みの保全などに取り組んでいます。
しかし、このことすら、認識している市民は少ないのではないでしょうか。

 城の近辺や祭りの日にだんじりが通る道沿い、紀州街道沿いにも、
当たり前のようにピカピカの材料を貼り付けた、味気ない洋風住宅が建ち並んでいます。
これは、バブル経済絶頂の頃に関西国際空港建設も重なり、
駅前再開発や住宅開発、幹線道路の整備などが進んだためです。
岸和田の街並みは一変してしまいました。
さらに、不景気のどん底にあえぐ現在においても、そういった建物は増え続けています。
その一方、「だんじり祭り」は全国的に有名になりました。
毎年数万人の人たちが、全国から見物に訪れます。

岸和田市民には意識してほしいことがあります。
それは、見物客は「だんじり祭り」と同時に、街並みも見ているということです。
伝統木造建築工法でつくられただんじりを、法被姿の人たちの力だけで動かす「だんじり祭り」。
その風景に、ピカピカの建物が並ぶ街並みが似合うでしょうか。
地味でも、重厚感のある、落ち着いた街並みの方が絵になるはずです。
ほんとうに祭りが好きならば、街並みについても真剣に考えるべきではないでしょうか。

次に街の特性を考えてみます。産業的には、一次産業から三次産業まですべて揃っており、
その一方で、衛星都市としての機能も有しています。
つまり工場、商店、住宅が入り混じっている街なのです。
こうした街並みを整えるために、行政だけにまかせるのは、市民として無責任ではないでしょうか。
民間の人たちも、もっと問題意識を持つべきです。
岸和田市民の岸和田に対する意識や思い入れ、責任感は強いはずです。
祭りを見ればわかります。
あれだけの「だんじり」に対するパワーと団結力、そして伝統を重んじる心。
また祭りの準備と後片付けには、多くの市民が進んで参加します。
これは、個人主義が蔓延する現代社会において、大変貴重なことです。

それでは、歴史を感じさせる重厚な街並みにするには、どうすべきなのでしょうか。
日本やヨーロッパの美しい街並みを見てみると、それらは没個性的な家の集合のように見えます。
よく似た家の連なりなのですが、まったく同じ家というわけでもありません。
ところが、現代の日本の街並みは、一軒一軒まったく違ったデザインを施した無秩序なものや、
完全に同じ家を並べただけの味気ないものがほとんどです。
これでは、歴史や美しさを感じません。

一口に歴史といっても、古い時代だけではありません。昭和や平成も歴史の一部です。
しかし明らかに、古い時代の建物の方が、人の心を引き付けます。
古来より日本人は、自分たちの使う道具や身のまわりの物に、魂が宿ると信じてきました。
古い時代の建物に対しては、それに近い感覚があります。
しかし、経済至上主義が蔓延してからの建物には、ほとんど感じられません。
手づくりの建物には魂が宿るが、工場でつくった物を組み立てただけのそれには、
魂が宿らないということでしょうか。

岸和田の街は緩やかに発展してきました。21世紀もこのペースを保つことでしょう。
「だんじり祭り」に負けないぐらい、魂の宿った街並みができあがって初めて、
岸和田はほんとうの意味で成熟した街になるでしょうし、きっとそうできるはずです。

↑三重県関町の街並み
ピカピカの建物がなく美しい

↑ドイツ・ライプツィヒの街並み
デザインの統一感が街並みを引き立てます



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