和歌山城レポート
落城日 2001年8月13日(月)
落城者 かずひろ ディオさん ばんちゃん ぺこちゃん 以上4名
 お盆休みに入ってOIT和歌山ツーリング
へと出発した我々が真っ先に向かった先が
この、『和歌山城』。
 しばらくの間、冬眠していたOIT落城伝説
も新メンバーと共に歩き始めた。
 和歌山城の中は歴史がい〜っぱい!!
中でも鎧兜や当時の屋根瓦など、歴史ある
ものが所狭しと並べられている。っとそこで
メンバーディオさんとぺこちゃんの会話。

ディオ「これはバイクのシートやね!」

ぺこ「これはOITのジャケット??」

ディオ「お〜っ、良く分かったなぁ!


何やら歴史ある遺産をバイクに例えて話
に花が咲いているようだ!!
 これも、落城のPOINTの一つ!ここは
子供が出来て、歴史に興味を持ったら連れ
て来てあげよう!
 天守閣からの眺めも絶景!!和歌山市内
を一望出来る眺めぞよ!
  
【和歌山城の歴史】
 和歌山城は、天昇13年(1585)に紀州を統一した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎(トウドウ タカトラ)で、
本丸、一の丸を造りました。
まず、秀長の城代として桑山重晴(クワヤマシゲハル)が入り、慶長5年(1600)には、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長(アサノヨシナガ)が入城。
 そして、元和5年(1619)には徳川家康の第10子頼宣(ヨリノブ)が入城し、紀州55万5千石の城となり、以来水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつひとつとして、
長い歴史を刻んできたのです。
 その中で和歌山城5代藩主(1705〜1716) 吉宗は度々の幸運に助けられて紀州の藩主から8代将軍として日本を治めました。
享保の改革(倹約令・新田の開発・目安箱・足高の制などのユニークな政策)で世を変えた吉宗は「暴れん坊将軍」としてテレビ等で親しまれております。
箱入りの殿様とは違った見地から物事を見て、改革を成功できたのは紀州の風土が生んだ性格があったからでしょう。まだ紀州には吉宗の足跡が多く残されております。
 出生の屋敷跡から青春を過ごした昌平河岸(ショウヘイガシ)、そして和歌山城に吉宗の面影を探すのはいかがでしょうか?