小浜城レポート

落城日 2002年7月25日(木)
落城者 チハル ムロちゃん 以上2名


 【小浜城落城ツーリング】

 
目がさめると昼前だった。京都支部の社長ことムロちゃんと一緒にプチツーリングへ行こうと言っていたアタシは、とりあえず
顔の塗装(笑)をすませ、実家に帰っている
ムロちゃんが京都に帰ってくるのを待っていた。
11時半くらいにムロちゃんから連絡があり、1時
ウチの大学前で待ち合わせで出かける。青のR6で現れたムロちゃんと、こんにちわ〜こんにちわ〜と挨拶をかわし、今日はどこへ行きましょうかと相談する。

学校があるのが鯖街道の近くなので、そのまま鯖街道を通って小浜までぬけて、それから皆だいすき162号線を通って京都へ帰ってこようか、という話しになる。そこでムロちゃんが一言
ムロ「僕、OITに入ってからマトモにツーリングするの初めて。」ナヌ!?
チハル「じゃあいつもしてるのは何‥‥?」
ムロ「あ〜あれはロー●ング?(笑)」

そうじゃないぞ!
社長!!そういや社長今日はツナギきてないわ(笑)ジーンズの爽やかな社長と、笑顔の爽やかな(爆)チハルは、待ち合わせの段階で大量の汗をかきながら爽やかにさば街道を出発した。

ルート367の北行きは平日のせいもあってか、空いていて走りやすい。前を走る社長のうしろをの〜んびりついていく。途中ある事に気がついた。社長、ストレートになると速度をぐんとおとして、きょろきょろしている。そういや、ナツヤスミに入ったせいでねずみとりがおおいのだ。案の定「途中トンネル」の近くの下りでねずみとりしていた。途中峠を抜けると左右に紫陽花の花が咲いていた。もう梅雨なんてあけて随分たっているのにまだ咲いているんだ〜と、しばしぼーっとしてしまう。結局、道の駅くつき新本陣で休憩することになり、社長と二人ぶぶぶ〜と駐車場にはいっていくと、XJRとZRXの
彼氏彼女がこっちを見ていた。
彼女「わ〜すごいね〜あのカップル(違います-_-川)」
彼氏「じゃあオレにもCBR買ってよ。」

なんともなかむづまじい〜感じだ。目があってしまったので、挨拶をする。ムサ苦しい
アタシ(ごめん、社長!!/笑)と違ってなかなかオシャレで爽やかなカップルだ(笑)だって、彼女の格好Gパンにオシャレーなカーデガンとかだよ!(笑) 聞くとその二人も小浜をめざすらしい。

カップル「途中で追い付いてブチ抜いていったとしても、手くらい上げていってくださいね(笑)」そう言い残して二人は出発していった。
チハル「追い付くわけないよね〜」社長に言ったら、社長はしばらく考えてから
ムロちゃん「あのメット(ジェットヘルでした)には本気具合が足りない!!頑張ればおいつくかも‥‥追掛けてみる?(笑)」もちろん冗談ですけどね(笑)

結局それから20分くらいアイスをたべながら、だらだら話ししてから出発する。ここから先はゆるやかな峠道だ。快適な峠道をほどよいペースで走る。森の中を走るのって気持ち良い。風の匂いとかがぜんぜん違うと思う。しかし、京都支部で走ってるといつもおもうのだけど、皆本当に楽しそうに走るよね。結局いつもついていけなくておいていかれるけど‥‥(爆笑)
あたしゃー峠道を3ケタの速度では走れません(爆) 通称「へっぽこ走り」というアリガターイ名前を頂戴したアタシですが、なんとか普通に社長ラブラブ走行(きゃ★)してもらい、無事小浜へ到着。

小浜って初めてきたけど、こぢんまりした街だな〜。所々に古い建物なんかがあったりして、確か「小京都」ってよばれてるんだよね。きょろきょろあちこちを見渡しながら、ガソリンスタンドで小浜城跡の場所を聞く。どうやら今は神社になっているようだ。市街地を少し外れたところの古い住宅がならぶ奥にその神社はあった。広い境内のあちこちに石垣のなごりが残っていて、そこが昔お城だったことがよくわかった。
境内のベンチに座って、社長としばし、ぼんやり。地図を拡げて、せっかくココまで来たんだからビーチへ行こうという話しになって、どこのビーチにするか相談。
チハル「やはりヌーディストビーチやろ!」と鼻息も荒く言うアタシに社長は
ムロちゃん「で、それって何処なん?」
チハル「‥‥‥(知るわけないよ、そんなの‥‥)」

ムロちゃん「せやけど、オレ、今日海パンもってきてないわ〜」

はっ!!アタシも何ももってきてない‥‥仕方ない‥‥。
チハル「わかった。アタシも男や(違うと思う)!!いさぎよくパンツで泳ぐ‥‥はっ!!」
ムロちゃん「どうしたん?」

チハル「今日、負けパンや‥‥‥」

瞬間、社長の目が死んだ魚の様にドロンとしたのは
アタシの思い過ごしだろうか?
ムロちゃん「なんで負けパンやねん‥‥‥」
そうとう呆れているらしい。しかしツーリングにスケスケのレースのパンツはいてくるのもどうだろ〜。
チハル「いや、ここしばらくTバックばっかりはいてたから‥‥(墓穴)←関係ないし」

時間は15時30分。あまりゆっくりしていられない。ぼそりと
「鯖街道なんだから、やっぱ鯖関係たべときゃよかったな〜」とつぶやくと社長の目が光った!!
ムロちゃん「今、鯖寿司が熱い!!」
そういわれると、そんな気がしてきた。そうだ。多分一番熱いのは
 鯖寿司だ!!!(謎)
しかし、ここでまた問題が‥‥
ムロちゃん「寿司屋で食べて『時価です』とか言われたら困るな‥‥」
確かに。今考えると鯖寿司が時価だなんてあまり聞かない話しだけど、財布に2000円しかはいってなかった
アタシは必要以上にびびっていた。‥‥ていうか2000円しか入ってないって‥‥何かあったらどうするつもりだったんだ‥‥。結局、地方市場でボタン海老のお寿司と鯖寿司と、海老の頭の味噌汁をいただきました★海老がぷりぷりで‥‥うまっ!!相当アホ面になりながら海老を食べる。イイ!小浜イイよ!!結局帰りは、周山街道をとおり、牛乳広場と高雄ですこしまったりしてからお家に帰って来ました。

熱くて暑い一日でございました。結構、朽木経由小浜経由周山街道ツーリングって御手軽で楽しかったです。



【小浜城の歴史】
 慶長五年、関ヶ原の戦で西軍に属した小浜の木下勝俊は除封され、そのあとには近江の大津城主であった京極高次が若狭一国8万5000石を領し、入部した。

 京極高次は近江の小谷の生まれで、浅井氏滅亡後信長に仕えたが、本能寺の変のあと明智光秀に従い秀吉の長浜城を攻めたため 、追求される身となるが、美貌の妹が秀吉の側室となったことで許された。その後の加増もあり、関ヶ原の合戦時には,大津城主として6万石を領していた。

 関ヶ原の戦に際しては、東軍に属し大津城に篭城した。西軍に囲まれ、関ヶ原の戦いの前日には開城したが、畿内で東軍として行動したことにより、若狭一国を与えられた。
妻は浅井長政三姉妹の次女
常高院である。翌年には、高次は近江国高島郡のうちにおいて7000石を加増された。

 高次は、かつての若狭守護武田氏の後瀬山城を捨て、居城を海岸沿いの蜘蛛の浜(下竹原)に移し、新たに城下町割りを行った。ついで高次の子忠高は、寛永元年、敦賀郡2万1000石を加増され、領地高は合計11万3500石となったが、寛永十一年閏七月、出雲松江に転封となり、京極氏による若狭支配は2代で終わりをつげた。

 そのあとへは老中の要職にあった酒井忠勝が武蔵川越10万石から入部し、築城を続行し、天守閣も建立し、寛永十五年完成した。その後幕末まで15代230年にわたり酒井氏の支配が続いた。
城は、小浜湾の海岸沿いで、北川と南川に挟まれた中州に築かれている。二本の川を堀に利用しかつ海に面した
水城といえる。

 明治二年、二の丸から出火した不審火により焼失し、城郭としては本丸部分が残るだけである。
 本丸の跡は、現在酒井忠勝を祀る小浜神社の境内となっているが、境内の西南部分には、三層の天守閣が建てられていた天守台が現存している。