2002年5月11日

薫クン歳時記

掲示板でのやりとりを見ているうちに、薫クンシリーズの日付を追っかけてみたくなりました。で、読み直したところ、

 

『赤頭巾ちゃん気をつけて』

東大入試が中止になった昭和44年2月9日の話ですね。これは次のせりふでわかります。
「それになによりも(略)大学へ行くのはやめる決心を(略)伝えたかったのだ。それも是非きょう中、つまり二月九日のうちに」単行本32頁

この日の朝、薫は由美と電話で大喧嘩しテニスの約束を断ることができなかったため、ゴム長に黒尽くめのいでたちでテニスコートに行きますよね? そして
「いくら日曜日で暖冬異変といっても、二月初めの朝九時半となると、、、」同19頁

つまりこの日は日曜日だと言っているのです。暦を調べてみました。すると昭和44年2月9日は、まぎれもなく日曜日でした。

 

『白鳥の歌なんか聞こえない』

薫クンシリーズの舞台はすべて昭和44年。そしてこの物語が始まったのは、昭和44年3月19日です。単行本5頁には、次のように書かれています。
「由美がホクホクやって来て、僕を(略)おびき出したのは三月十九日だった」
そして、またもや司馬遷の話やなんかで喧嘩をしてしまいます。この日は水曜日でした。
その後薫は横田や小林とオドカシッコをして、夕方、由美と会い彼女の異変に気づきます。

「翌日も素晴らしいお天気だった」同41頁(昭和44年3月20日、木曜日)
小林が書いたラブレターの話が薫の知るところとなります。そして夕方にはなんと由美から2月に死んだドンの身代わりにぬいぐるみをもらうことになります。その夜は、由美の先輩の小沢さんとデート。

「翌二十一日は春分の日で、」
この日、小林は駆け落ちに出発します。そして未遂に終わり、「二晩ばかり、おまえんとこに泊めてくれ」、しかし、その晩小林は、薫の次兄の家で眠り込んでしまいます。薫クンは小沢さんとのキス。

「眠ったと思ったらすぐ起こされた」同131頁(昭和44年3月22日土曜日)
小林が合宿に来る。
「由美の言ったように土曜で飛び石連休で春休み」同138頁
薫は小林と上野動物園に行きます。レストランミラノで由美と夕食(薫は2度目の夕食)

「ほとんど眠ったばかりという感じなのに、永い間の習慣で七時半には目を覚まし」(同186頁、昭和44年3月23日、日曜日)
由美といっしょに小沢さんの家に行く薫。

「翌日小林は、朝ご飯を食べると、、、」(同205頁、昭和44年3月24日、月曜日)
由美の自動車学校についていく。「その午後は久しぶりに独りで静かに過ごした」
横田が京都旅行へ誘いに来る。
「その夜、夕食後に由美から突然電話がかかってきた時」
その晩「彼」は息を引き取る。

『白鳥』は3月19日から24日まで、6日間の戦いの記録だということがわかりました。

 

『さよなら怪傑黒頭巾』

「それになにしろ三日続きの連休の真ん中の日曜日』『初日(五月三日)だけで死者五十何名』(同9頁、昭和44年5月4日)

「ところが夜中の二時近くに、、、」(昭和44年5月5日未明)

 

『ぼくの大好きな青髭』

『一九六九年七月二十日の午前十時少し過ぎ』同3頁(昭和44年7月20日、日曜日)
薫が決戦に赴いた時間です。

 

特段、シャーロッキアンを気取ったつもりではありません。『白鳥の歌なんか聞こえない』が何日間にわたる物語だったのか調べているうちに、「エ〜イ、書いてしまえ」と思ったままに書き綴った話です。ご参考になれば幸いです。

 

散歩学派 おおはし