2001年7月20日
とある新聞記事に、庄司薫さんと中村紘子さんの結婚秘話が掲載されていましたので皆さんにもお伝えいたします。
ピアニスト中村紘子さんが語る庄司薫著「赤頭巾ちゃん気をつけて」
「今度の芥川賞読んだ?」
「ううん、まだ読んでないわ」
「あなたの名前が出てるよ」
運命の知らせ言うべきか――。1969年、その年の上期の芥川賞受賞作は二編。うち『赤頭巾ちゃん気をつけて』というへんてこなタイトルの青春小説に、どうやら自分のことが書かれているらしい。情報をくれた新聞記者によれば、著者は庄司薫という男性だ。
<中村紘子さんみたいな若くて素敵な女の先生について(中略)優雅にショパンなどを弾きながら暮らそうかなんて思ったりもするわけだ>
本の真ん中過ぎにある、主人公の高校三年生の独白に名前が使われているのを見つけたときは、「感激でボーッとなって」。しかし実は、そこに至るまでに作品自体の魅力に圧倒されていた。青年の何気ない一日をなぞるようでいて、奥底に、いかに生きるべきかというメッセージを秘めた文章。「なまめかしくて艶っぽくて、キャーッ負けた、かなわないって印象でした」。音楽もそうだが、人の心をつかむ作品には、言葉で表しれない艶があると考えている。
その輝きに幻惑されたのか、表紙の裏にある著者の顔写真がやがて光を放ち始める。読み終えてからまじまじと見つめ直したときではなかったか。ひらめいたのだ。「ひげが濃くて泥棒みたい。だけど私、この人と結婚するわって」。なぜそう思ったのかはいまもわからない。だが確かなのは、すでに恋に落ちていたということだ。
そこからが早かった。知り合いの編集者から、庄司さんが缶詰めとなっているホテルを聞き出して電話。「よく覚えてないんですが、『中村紘子と申します。ピアノを弾いています。サインして下さい』と言ったらしいんです」。すぐ夕食に誘われ、自分が出したばかりのショパンのレコードを持って出掛けたが、「緊張で何ものどを通らない。しおらしかったの」。二十五歳だった。
舞台を中村家に移した二度目の逢瀬は庄司さんが攻めた。ブランデーをグラスに十七杯も飲んでからピアノの向かった庄司さんがパラパラと弾きだしたのは、前回、自分がプレゼントしたレコードの収録曲の数々。「まあ、なんてずうずうしい」と思いながら黙って聴いていると、どうやら相手はこちらの様子を全く違うように受け止めたらしい。「あまりの演奏の素晴らしさに、感動して声もでなかったと思ってたって言うのよ」
出会いから五年の後、二人は結婚する。だが、本がつないだものはこれにとどまらなかった。当時はピアニストとして今後、どう生きていくか悩んでいた時期。テクニックを磨くならば日本を出るべきだったが、それを思いとどまらせたのが、庄司さんを通した知識人との交流だった。
評論家林達夫、政治学者丸山眞男らとの出会いは衝撃的だった。「私は受験勉強もしていないし、ものごとを一番吸収できる十代はピアノだけ。それが先生たちを知り、こんな世界があるのかと」。彼らは日本にいながら世界をしっかり見ていた。いや、日本に根を下ろし、自分の支えとしていたからこそ、世界を語り得た。ピアノも同じだった。「大事なことは自分自身を見極め、精神を育てていくこと。何を表現したいのか、はっきりとした意志を持つこと」。以来、日本を拠点に世界で活躍するのは多くが知るところ。「結婚で精神が安定し、よりピアノに集中できるようになった」とも言う。
そういえば『赤頭巾』の最後で、著者と同名の主人公はこう語っている。<ぼくは海のような男になろう>。愛する女性を守る決意を表した言葉だが、もしかしたらそれは、作家自身が未来の妻に誓った言葉だったのかもしれない。
以上が記事のテキスト全文です。紙面には写真が二葉掲載されています。一つは『赤頭巾』の表紙を開け、庄司薫氏の写真を示しているもの、もうひとつは、花嫁・花婿姿の庄司薫氏と中村紘子氏の写真。
なんとわれらが庄司薫さんは白のダブルのブレザー姿でありました。まいったまいった、、、
散歩学派 おおはし