「ぼくの大好きな青髭」


青は東西南北の東を守る神「青竜」を象徴し、「ぼくの大好きな青髭」で庄司薫氏は、一つの「若さ」の「夜明け」とでもいうような冒険を描きます。(「狼なんかこわくない」庄司薫著より)

青は、いつも行動を起こさない薫が初めて、きわめて破天荒かつ主体的に行動を起こす物語です。なんといってとりえのない、まるで存在感のない友人が自殺を図る。そして、そのことを記事にされたくない友人の母親の願いと、薫自身が、その友人の自殺の原因を究明したいと言う衝動に突き動かされ、付け髭にサングラス、麦わら帽子に蝉取り網という戦闘服で現地に赴く。

出だしから、ぼくはギョッとしました。「これは普段の薫クンではない」。知的で饒舌だけど、決まって銃後にいるはずの薫クンはどこに行ったんだ?

薫クンはこの小説の中で、今までの3作とはまったく趣をことにする人々に出会います。
夢を抱く若者、夢を抱いた若者を食いつぶしていく人、夢を抱いて挫折した若者を救済する人。
そして出会った皆が、若者の夢の実現とか、逆に若者が時代を変えることなんかできなくなった、
というメッセージを残していきます。
ぼくは、いつもこの青を読みながら、ぼくのわずか43年の人生というスパンで見ても、科学技術の発展に人がついていけていないことを実感しています。また逆に、人間ってのは、なんて適応力に満ちた生物なんだろうかって。いったいどちらが正しいのでしょう。

ストーリーを追うごとに、薫の友人高橋くんの行動が読者の前に提示されていきます。冬休みが始まった日、薫のピアノの伴奏でフルートを吹いた彼、やがて若者たちの夢の実現のために新宿の道路に立ってフルートを吹く彼、葦舟という若者救済のコミュニティーの船長となった彼、やがて彼は彼の同士がどのようにしてお金を稼いできていたのかを知り、自殺に追い込まれる。

ぼくは、自分が大学生になる前に、若者が時代を動かすことすら出来なくなったことを知り愕然としました。

しかし、この本でも薫は、このような時代を激しく愛し憎しむことができるのだろうかと自問し、由美の「あなたなら出来るわよ」という声に励まされるのです。

赤・白・黒・青を象徴にして、若者の夢、挫折、やさしさ、強さを描いた庄司薫は、この4部作を最後に筆を折り、われわれの前から姿を隠しました。しかし今でも彼は、バクのように時代の悪夢を食べ続けているようです。


散歩学派 おおはし