西海老名灰塚
海老名家に関する諸々の出版物によれば、「海老名家は本家・東家・西家とが実在していた」と書かれ、「東家とは関東の海老名家で、西家が相生の海老名家ではないか」といわれていたが、東家は相生4丁目にある海老名家の墓地に「東海老名氏」の文字が刻まれており、西家は松之浦墓地にて「西海老名氏灰塚」と刻まれた自然石に見ることが出来、東と西の海老名家が相生に実在していたことが明らかになった。