子育て地蔵
天保9年(1838)に、稲岡宗太郎が世話人として建立された地蔵である。稲岡氏は唐土屋と云う屋号を持っていて手広く商いをしていたのであろう。天満宮の玉垣にも、三大将軍社にも、活躍の名残を覗うことが出来る。彼の二男が文久赤穂事件(高野の仇討)で、村上兄弟に本懐をとげさせた立役者福地浅五郎である。  注:日本最後の仇討