上町荒神攝社祐徳(ゆうとく)稲荷

大正6年は日本全国で事故が多発し、9月には東日本を大暴風雨が襲い、死者行方不明1300人、東海道線が4日間も不通となり、翌7年には好景気から不景気に移る際に起こる経済界の混乱状態、所謂パニック状態が起こり、米価は暴騰し米騒動が起こる等、全国的に大恐慌となった。これらの世情不安等が経済界にも及び、それにつれて相生の播磨船渠(播磨造船所の前身)も不況となった。
そこで遥々(はるばる)佐賀県から此の相生を新天地ときめて移り来た人々や地元の人が話合い、神徳により相生地区と播磨船渠の景気回復を願って、出身地の霊験あらたかな祐徳稲荷神社を上町荒神の攝社として勧請(かんじょう)し、祐徳稲荷神社を建立したのがこの社である。