蛭子神社

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)()弊冉尊(ざなみのみこと)の第一子であるエビスの神は、生まれながらの不具の子であったため葦舟に乗せられ流された。摂津の国西宮に流れ着き西宮の住人(えびす)三郎に育てられ後西宮神社の祭神として祀られたと伝えられている神で、漁業関係者の民間信仰によれば、水死人のことをエビスと呼び、それを拾うと豊漁になると喜ばれたことから、漁業者のエビス信仰が七福人の恵比寿信仰へと発展し、其の後商売繁盛の神と変化した。

相生の蛭子神社は寛文5年(1665)海老名二十一代家次の時、社を建てたが安永5年(1776)海老名芳次の代になり西宮の戎神社より正式に勧請しその末社となった。

昭和20年後半頃まで例祭は7月19日・20日の夏祭だけだったが、それ以後1月の10日戎の方が盛大に取り行なわれるようになった。