Quebec, Canada 2000
This is the report of Aoi (the second grade of junior high-school, 13 years)
who went to Quebec in Canada in July-August, 2000
(Sorry, this page is written in Japanese, under construction partialy)
Quebec |
この夏のQuebec州でのホームステイは、私にとって、4回目の青少年交流…。 4回も行ってるとファミリーのみんなに「あおいはホームステイのプロやから大丈夫やろ。」とか「もう慣れてるから…」とか言われる。でもそんな、慣れる、とかってあんまりない。4回が4回ともちがう国(州)、言葉、家族だし、1年経つと私自身それなりに変わってるから。例えば、去年行ったCanadaのAlberta州は、初めての1カ月のホームステイ。すごくどきどきして行ったけど、いい家族やった、楽しかった、っていいながら帰ってきた。じゃあ今年は…?何ていうか、去年ホームシックがいっこもなかったのは、たまたまホストの仲良しの子の家にヒッポの子がステイしてたし、何回か日本の子に会った。それにホストもすごいいい子やったからじゃないんかなーとか思ったり、今回は調査表に写真がなかったからホストがどんな子か全然わからんやんーとか、ケベックメンバーの中で私だけがみんなと離れてるんちゃうん、とかいろいろ思った。 そもそも、私が今年の交流に申し込んだのは…正確に言うと、もう一度去年行ったところに行きたかったから。でも、私としてはCANADAならどこでもよかってん。CANADAに行きたかった。CANADA交流に申し込んどいて、もし運がよければAlbertaに行って、さらにもっと運がよければ去年会った友達に会えるかもしれない。でも、違うところならそれでもいいって思ってん。でも、正直言ってQuebec州って聞いた時ちょっとガクっとしちゃっいました(←Quebecに失礼や。)。ゴメンナサイ。。。でも、いまは、Quebecでよかったなーってすごく思ってるよ。きっとこれから先を読んでくれたらわかりますよ。(=読んでね。) いろいろ、書きたい事はあるけど、できるだけいくつかに絞って、あおいらしく、書いていきたいと思います。あ、大阪弁が混じってるのはあんまり気にしないで下さい。大阪弁の方が自然だと思うんで…。読みにくくてごめんなさい。 |
*My Host family* パパ(my dad)→Germain 農業してる。おもしろくてJokerな人です…。すんげー鼻高い!! ママ(my mom)→Claire Matthieu 17歳。(my brother) Marie-Eve 14歳。(My Host) Pier-Olivier 7歳。(my brother) Audrey (お姉ちゃん。) Sunny Minoune 以上が、葵専用のQuebecのFamilyです! あと他に、いとこで、すぐ近く(徒歩2分)に住んでいるCindy(15歳。Marie-Eveとすごい仲良し。)、David(13歳。多分いい子なんだけど、ちょっとキモい(~o~))、Marily(11歳。何か、しゃべり方とかかわいい。)、Anthony(9歳ぐらい。ちょっと障害があるっぽい。)の4人兄弟や、同じ敷地内に住んでいるパパのお兄さんのところの娘(名前知らない…。)とJonathan(18歳ぐらいのかっこよすぎて恐い兄ちゃん。)とJean-Francois(15歳。書いてもらったサイン帳によると彼は1884年生まれ<115歳?>)の3人兄弟のほかに、友達のエステル、ベンジャミンのとこの姉弟や、KarineとSalaの姉妹など、たくさんの友達が出来ました★ |
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*おうち* 私が行ったとこは、Quebec-cityから車で30分ぐらいにあるSaint-Elzearという、ちいさな町。うちは農場で、家の敷地内には、グランママ(パパのママ。グランマ、じゃなくてグランママと呼んでいた)や、いとこ(Jonathanとか)が一緒(家は別)に住んでて、乳牛がいっぱいいる牛舎や、メイプルシロップを取るための森(林)があった。 家は、2階建て+地下のある、赤い屋根のかわいいおうち。部屋が3つある2階が寝室になっていて、1つがパパ&ママの部屋、2つめはMatthieuとPierの部屋、3つめはMarie-Eveと私の部屋。天井が斜め(屋根の形に)で、めっちゃかわいい部屋やった。 |
*Expo* …という、4-Hフェアーみたいなお祭りがあって、ホームステイ2日目ぐらいから、5日間ぐらい、毎日車で30分ぐらいかけて通いました。そこでは、牛のショーがメインで、夜に花火が上がったり、イベントがあったりしました。そのイベントの中でも、「ロデオ ド コション!」最高っス!コションっていうのは、もちろんフランス語でブタのこと。柵で囲った泥の中にブタを放って、一生懸命、人が捕まえようとする。人間が捕まえたら、人間の勝ちで、時間切れまでブタが逃げ切ったら、ブタの勝ち。だから人もブタもドロだらけなって泥の中を走り回ってる。もーそれが、funny!で、見ている人間は、ブタの応援(?)っつーか、みんなで「コッション!コッション!」って叫んでるし。ほんとは、私もやりたかったけど、着替えを持ってなくてできなかった…。 |
*ママのお友達* ママの友達の家に遊びに行きました。そこの家には、ガブリエル(3歳)&アン(1歳)というかわいい姉妹が、そのお父さん、お母さんと一緒に暮らしておりました。 アンもガブリエルもちっちゃいので、フランス語しか話せない。しかも、私が、フランス語をしゃべれないことにも気づいてなかったから、何やらフランス語(しかも赤ちゃん言葉)で話しかけてきなさる。わからんっつーのにねえ。 まあでも、ことばは通じないけど、遊んでればNo Problem!(一応。)。「ウォーリーを探せ」みたいな絵本で、遊んであげたら、『この人を探そう!』って言う時に、絵を指差して「ルィ。」。見つかったら、「Ici.」とか「ロ。」と言う。そんなん、今まで知らんかったけど、そー言えばいいんかー?と思って、私も言ってみたら、通じてたみたい。でも、それってフランス語の赤ちゃん言葉じゃないんかな…(--;) |
*swimming!* Cindy達の家には直径8〜9mぐらいの丸いswimming poolがあって、ほぼ毎日のようにswimmingした。10セントコインを投げ入れて、それを探すゲームしたりただひたすら浮かんでたりして、めっちゃfunny★やった。ただ、たいていの時は水温24℃ぐらいあるのに、たまに20℃以下になる時があって、18℃ぐらいの時とか、really cold!!!!…いや、マジで。みんな震えてたから、その日は10分ぐらいで上がったけど。 |
*POUTIN* って知ってる?フライドポテトにチーズのっけて、POUTIN用のソース(グレービーソースみたいで、香辛料の味が強い)をかけた、fast foodの一種。マクドナルドとかにもメニューとしてあったよ。Quebecの人はみんな大好きでよく食べるけど、日本人はあんまり好きじゃない…ってパパとMarie-Eveが口を揃えて言ってた。でも、good taste!!私は大丈夫だったけど、ちょっと苦手な人がいてもおかしくないかなって思った。 |
*フランス語* 家では、うちに喋りかける時は英語でそれ以外の時はフランス語やった。なんか、 もっと英語を普通に話すんやと思っとったから、フランス語のテープはほとんど聞いてなかったからちょっと困った。でも、パパが1番英語話せて、MatthieuとMarie-Eveも結構普通に喋れた。ママはうちと同じぐらい(=ほとんど喋れない)で、Pierは殆ど全く喋れなかった。殆ど全くって言うのは、Pierがまだちっちゃいから別に喋れなくていいのにたまにMarie-Eveとかから仕入れてきたらしき英語を口走るって事。は、フランス語のテープもっときいとったPierと喋ってる時らよかった…って思うことが多かったけど、英語とフランス語の単語とゼスチャーで喋ってた。 だから、あおいのフランス語の先生はPierだった。「アオイ、◎★*×@+▲☆(よくわからん)」とかいって、フランス語を教えてくれる。例えば、トランポリンの上にねころがっている時。太陽を指差して「アオイ、◎×☆▲ソレイユ」と言ったり、空を指差して「シエル」と言ったりしてた(ラルク・アン・シエル<日本のバンド名>と一緒!ちなみに、ラルク・アン・シエルは虹って事らしい。。) ある日の夜、ママとPierと私の3人でBINGOをした。普通の数字のBINGOじゃなくてイラストが書いてある、Mexicoのロッテリアみたいなやつ。それを、フランス語でやるんだそうで。ムリやろ…って思ったけど、がんばった。でも、言われればわかるようにはなったけど、自分で言うのは無理やった。んで、今度は、向こうを困らせてやろうと思って、日本語でもやった。とりあえず楽しかった。 あと、パパのほうのgrandmaの家に何回か行ってんけど、grandmaはFrenchしか喋れなくて、最初の方何言ってるんか全然わからなくてMarie-Eveに通訳してもらってた。でも、帰る前の日…ぐらいかな…?「いろいろとありがとう」って言いに行ったら、「明日帰るんやって?気をつけてね。」みたいなことを言ってたのがちょっとわかった。 それまで、フランス語って結構遠い言葉で、「スペイン語は好きやけどフランス語はわけわからん」ってかんじやったのがすごく変わった気がする。 |
*ARIGATOU* 「Thank youは日本語で何て言うの?」と聞かれて、「ありがとう」って言ったら、最初、ママもパパもMarie-Eveも「アリガット」って“が”にアクセントを置いて言った。でも、何か違うから、ついでに「東京では“ありがとう”(“とう”が下がる!!)って言うけど大阪では“ありがとう”(“とう”が上がる!!)っていうんよ」って言ってみたら、大阪の方の“ありがとう”を言ってくれた。その時は言えるんやけど、あとで言う時“ありがとう”の“ありが”はいいんだけど、“とう”がすごい高くなったりとかして、面白かった。(でも最後の方には、言えてた。) 他にも何回か「日本語教えて」と言われた。1番最初は、にんじんときゅうり(その日のおかずにあった)を教えたら、きゅうりなんかいっこも覚えないで“NINJIN”だけ覚えて、人に会うごとに「NINJIN!NINJIN!(Nばっかり…)」とかいってはしゃいでた(パパが)。 それから、「Tsuki<月>」とか「Taiyou<太陽>」を教えたら、「星」は?と聞いてきた。一応、「Hoshi」と教えたけど、フランス語には、“h”の発音がないから、「Hoshi」を言おうとしても「ぅおし?」とか、「っほっほほし?」とかって聞いてきて、おもしろかった。 |
*折り鶴<little
bird>* 1ヶ月、ステイしてたのに夜とか結構忙しくてなかなか折り紙教えてあげられへんかってん。けど、ある日突然いとこのCindyに「折り紙おしえて」っていわれて、教えてあげたよ。「コムサ?(Englishでは“like this?”)」とか言いながら2、3回やるだけで大体覚えられた。でも、「鶴」っていい方分からんから、“little bird”って呼んでた。結構がんばって作ってんけど、Cindyのはあんましキレイじゃなくて…。Cindyがゆうには「何でAOIはそんなキレイに折れんねん」。こんなガラ悪くないけど。そんなんぴし――って折ったらええんやんけ!と思って教えたんやけど、そん時はあんまり…。でも、うちが帰る前の日にきれいに折れた鶴を家まで持ってきてくれてめっちゃ嬉しかった。 |
*点滴!* をしました。わたしじゃないです。うしさんにです。しかも、いしゃとかでもなんでもないパパが。うしさんのくびすじに3ミリぐらいのふっといはりをざくっと。しかも2、3かいしっぱいしてました。けっかんにはりがささったしゅんかん、うしさんのちがはりからふきだしました。わたしのてにもかかりました。うしさんがあばれるのでMatthieuがおさえていました。はりにチューブをつないでてんてきのえきたいのはいったビンをさかさにむけました。1リットルぐらいのビンのを3ぼんやりました。それも5ふんか10ぷんのあいだに。わたしは、ビンをもったり、ちょっとうしをおさえたりしかしなかったけど、みてるだけでしにそうでした。ものすごくいたそうでした。パパが、そのうしはあかちゃんをうんだばかりでけつえきがたりなくてミルクがつくれないんだ、って言ってました。けつえきがたりないうしは、はなやおしりのところのピンクいろがうすくなるらしいけど、どうみてもほかのとおなじぐらいのいろでした。Quebecにいた1かげつで、いちばんもショッキングなできごとでした。 というわけで、このことを書いてると標準語で、しかもひらがなになるのでした。 そういえば、初めて牛舎に行った時に、日本で牛を見た事があるかって聞かれてんけど、答えれなかった。ってゆうか、日本の動物園に牛いたっけ?忘れた…。多分いなかったと思ってんけど、牧場とかで見たことあるかもしれんからよくわかりませんでした。…。何て言うべきやったんやろう…? |
*家族かな―?* ステイの真ん中頃にQYFのキャンプに行く時、私とMarie-Eveだけでモントリオールに出発した。でも、その時、パパがMarie-Eveにはチュってビーズしたのに私にはしなくて、あーパパの中ではうちはお客さんなんやなって思った。他の時も、パパは、ほとんど最後の方まで私を「お客さん」として見てた。私におつかいを命じることは絶対なかったし、なんかあると「AOIが先」。私にしたら「Pierのほうがちっちゃいねんから先でいいのに」って思うんだけど。でも、だからかもしれないけど日本のことを聞いてきたり、友達が来た時に私に「ピアノ弾いて」とか「日本のもん見せてあげて」って言ってくれるのはいつもパパだった。 ママは、なんか喋りやすかった。ママのしゃべる英語は私と同じで単語ばっかり言うって感じだったから、なんでもわかる単語をどんどん言って、そのうち通じる…みたいで気楽やった。だからママといると安心したし、他の人と喋るみたいに「聞こう」とか思わなかった。2日目におみやげを渡した時は「ママ」って言って渡して、ママはビーズしてくれたけどやっぱり最初の方はお客さんだったみたい。でも、ある日…家族全員で1日かけて牛の餌の草を運び入れるっていうとても忙しい日があった。私は、あんまり体力がないっていうか、パパがあおいにはあんまり手伝わせてくれないっていうか…で、結構ヒマにしてた。その時に、ママが「洗濯機から、洗い終わった服を取り出して、外に干して」って言ってくれた。なんか、ママに「これやって」って言われたのが、すごくうれしかった。 で、その何日かあとに今度はパパ…かな?「郵便受け見てきて。んで、中に何か入ってたら赤い棒が立ってるから中身を取り出して棒を下げるんだよ。」ってちっちゃい子に言うみたいに言っったから私はちっちゃい子みたいに「うんっ!」って言って自転車出して郵便受けに行った。これが、パパがあおいに命じたおつかい。この時すごく嬉しくて、家族やーって思ったけど、よく考えたら、「あおい、これやってね。」ってパパとかママに言われたのはこの2つしかなかったかも…。やっぱり、私はお客さんやったんかな…………。(かなりショック) |
*イキナリですが。最後の日。* 8月21日が、お別れの日。集合場所のモントリオールのホテルまで一番遠いところ(車で2時間半ぐらい。)に住んでいたうちの家族は、モントリオール観光も含めて朝の8時半に家を出ました。といっても、Matthieuはリモンスキというところ(車で5、6時間)の大学に行く為に8月17日ぐらいにバイバイしたし、パパは、農場の仕事があるから、お留守番やってんけど。最初、パパも一緒に行くと思っとってん。でも、なんかいつのまにかいなくなってた。だからあんまりちゃんとバイバイとかありがとうとか言ってないねん。それがすごい心残り。 モントリオールへはGrandmaも一緒に行った。モントリオールでは、植物園に行ったり、昆虫博物館に行ったりした。 まあ、そんなこんなで時間は4時。集合は、ホテルに5時やから、急いで車に。急いでホテルまで行って、4時50分頃ホテルが見えたのに、なかなか高速道路からでれなくて同じとこをぐーるぐると。高速からでたはいいけど、またどう行けばいいのかわからんで迷ってました。でも5時15分にホテルについたらますりんともこちゃんしか来てなかった…。いいねんけどね。25分も迷ってた事になるねぇ。 その後みんなでお食事。近くのレストランでチキンのなんか…?を食べました。その食事が終わった後は、いよいよお別れ…。みんなにQYFのT-shirtsにsighしてもらったり、写真取ったりしてたらいつのまにか9時半とかになってて、ママに「私達は遠いからもう帰らなくちゃいけない」ってhugされた。急に別れなあかんっていうのが現実になって、涙出てきた。Marie-Eveとも、PierともGrandmaともhugした。最後ママがもう1回hugしてくれた。Stay中、1回だけ、なんでうちのhost familyはFrenchを喋る人らなんや。とか、うち、ほんまに家族かな―とか考えちゃったけど、何語喋ってても、もしうちが家族じゃなくてもこの家族にstayできたのはすごく良かったなーって思った。 |
Thank you very much for having read this report.
We made collection of memories in Quebec by seven friends
who went to Quebec together in the spring of 2001.
I want you to read it because it splendidly made it considerably.