尾川悦子の平成6年〜平成11年
(1994-1999)

 

 

 

 

昭和61年次男がうまれた。1歳半検診の時
知的な障害があることがわかり
いろんなことに大変だから豊中に住んでいたころは
地域役員などは免除してもらっていました。

平成6年に猪名川町に引っ越してきて
知り合いがいないから、すこしでも人との
つながりをつくりたいとPTAの委員を
することにしました。
ただし、自分のできる範囲でとお願いし
広報部員として学校のいろいろな行事や
お手伝いをしながら活動しました。

平成7年1月阪神淡路大震災がおこり
猪名川町でもっと被害が大きかったら
どんな対応になっていただろうと今も思います。
給食センターに救援のためのおにぎりづくりを
手伝いにいき、あついご飯を手袋をしてにぎった。
あんなにたくさんのおにぎりをつくったのは
はじめてでした。
お風呂が沸かせず、あのころはまだ地元に
知り合いも少なく、たいへんでした。

この年、PTA役員の選考委員長をし
こんな大変なときに雪の降るなか役員をたのみに
町をまわり、日ばかり過ぎ、だれも役を引き受けてくれない。
そんな様子を見かねて協力してくださった平成7年度の
役員さんに感謝です!
この時、私も何かたのまれたら、できるかぎり
協力したいと心から思いました。

皆さんに役員をお願いしたので申し訳ないから
もう一年、委員をすることに。
教養部で講演会をしたときには
「おもちゃライブラリー」主宰の辻井先生が
子育てを外注する時代への危機を話された。
こんなにたくさんの自然がある町にいても
子どもたちはゲームをしているだけ。
「まわりの大人のかかわりをもっと考えなさい」
その言葉がいまでも心にのこっています。

平成9年、男性のPTA会長の候補がいないということで
選考委員さんや会長さんが家にこられた。
女性の会長は松尾台地域ではいるけれど
猪名川校区でははじめて、私に本当にできるんだろうか。
そんな思いもあったけれど
2年前「困っていたときに皆さんが引き受けてくれた」
あの時ことを思い不安ながら引き受けた。
PTA会長という役割の大きさもわからないまま・・・。

総会が無事に終え、これからスタートというときに
神戸市須磨区の悲惨な事件(サカキバラ)がおきた。
子どもたちの登下校の安全確保
警察、町関係機関との会議
いきなりの仕事だった。
いろいろなことを学校と話し合い最終決定をするのが
自分であり、責任の重さをこのとき感じた。
周りの自治会への協力依頼をしながら
このころから地域のつながりの大切さを痛感した。
子どもは地域で守り、そだてるんだと。

平成10年、第4次猪名川町総合計画に一般公募委員
として参加することにした。
簡単なまちづくりへの思いをまとめた文章を企画へ提出した。
一般公募委員を募る試みはこのときがはじめてだったそうだ。
会議の中では健康福祉部会の委員になった。
参加している人は、各種団体の長、議員、一般公募委員4名を
含めた42名だった。

たくさんの人がいる中でひとつのことをまとめるのは大変。
一般公募という立場がかなり肩身がせまい時代でしたね。
誰かが意見を言えば、そのようなことは議員がやっている。
心配はいりません的な発言があり何か???を感じた。
この場はみんな平等に審議する場じゃないのか?!
そんな思いをしながら聞いていた。
「参画と協働」には少し遠い感じである気がした。

平成10年はつつじが丘に町内7番目の小学校が誕生。
学校が新しくできる。この瞬間に立ち会えたことは
ほんとうにいい経験でした。
基礎の部分から出来上がりまで写真をとったり
本当に楽しみでした。
何もない学校、PTAをたちあげるための準備。
校区が小さくなることで5自治会が力を合わせやすくなった。
その基礎は今でも夏祭りやいろいろなことに引き継がれ
当時の準備委員をしてくださった方、自治会のみなさんの
おかげですね。
今17歳の次男は一期生です。

イナホールでまちづくりフォーラムが開催された。
このときケーブルテレビ「ふるふるいながわ」がスタート。
一般公募委員としてたのまれたインタビューで
「知的な障害のある子どもがいます。
 子どもの将来を考えるとき、地域が良くなることが
 このまちで、ずっと子どもが暮らせることにもつながる。
 人にやさしいまちをつくるために私のできることで
 参加したいと思う」
と確かいろいろな話しをしました。
その思いは今でもありますが
少し当時とちがうのは、地方分権の時代になり
まちのことを自分たちで考えるためには
まちに住むたくさんのすばらしい人材の知恵をもっと
活かせる環境をつくる
ために働きたいという思いに
変わってきたことです。

平成11年、男女共同参画推進懇談会委員として
一般公募参加した。
兵庫県内の町で初めての「男女共同参画行動計画」
を策定した町は「男女共生のまちづくり」をテーマに
フォーラムを開催した。
その時にパネラーとして参加し、意見を言った。
もうほとんど忘れてしまっていたけれど
神戸新聞の記者がうまくまとめてくれています。
「女性の進出は職場や社会的な地位だけでなく
 地域で果たせる役割も多い。
 男女共同参画社会の実現のためには、男女
 一人ひとりの自覚と行動
が欠かせない」
こんなことを言ったようです。

「いろいろな団体が別々に行動するのではなく
 これからはひとつのまちづくり理念にそって
 行動を連携させながら取り組むことが必要。」
こんなことも言った記憶があります。

時代が少しずつ変わり バブル期には
なんでもお金を出せば解決できたことでも
経済不況の今、お金がないなら知恵を出せ!です。
まちの子どもたちを取り巻く環境もいま本当に
真剣に考えていかなくては
いまならまだ間にあいます。

 

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