2001年3月下旬

今日も会社帰りにタワー寄り道。たまに買うジャズということでELLA FIZGERALD/LOUIS ARMSTRONG「ELLA AND LOUIS」購入。


今日は地元、滋賀にある会社の物流センターへ直行。
いつもより余裕の通勤。
やっぱ、車は楽だな。
で一仕事終え、帰り道ちょっと本屋で立ち読み。
音楽誌でピチカート・ファイヴの解散を知る。


ピチカートは解散しないと、なんとなく思っていた。
解散する必要なんかないバンドだと思っていた。
でも、もうピチカート・ファイヴの新曲が聞けないんだ。
車の中で悲しくてちょっと泣いた。


もう16年もピチカートの音楽を聴き続けてる。
でも、もうさよならだ。
彼らの曲の一節を捧げよう。
「さよなら/サンキュー/愛してるよ/バイバイ」


休日、朝からずっとピチカートファイヴを聴く。
初めて買った彼らのレコードは彼らのデビューシングル「Audrey Hepburn Complex」
おしゃれでキュートな音楽だった。
当時はヘビメタブームで中学生男子の9割はハードなギターソロにいかれていたが、僕の耳には彼らのソフィスティケイトされた音のほうがよっぽど過激に響いていたんだ。
ほんとに好きだった。


祝日。
娘といっしょにプールへ。
なかなか水に顔をつけられない娘と顔つけの練習。
2時間ばかり泳いで心地よい疲労。


ビデオで録画しておいた「シティボーイズの10カウントショー」見る。
シティボーイズの3人が揃ってるの見てるだけで幸せな気分になるね。
きたろう、斎木しげるに突っ込んでる時の大竹まことのなんとも嬉しそうな顔。
5月のライブが楽しみ。


今週の帰り道で聴く音楽はやはりピチカート特集。
ピチカートのレコードはほぼ全て発売日から3日以内には買っている。
何度も言うようだが、もうピチのオリジナルアルバムは出ないんだよなぁ・・・。
ピチカート(というか小西氏)が最初にその強力なエディット感覚を見せつけた「女王陛下のピチカートファイヴ」
音楽を聴いててこれほどの衝撃を受けたことはない「月面軟着陸」
野宮真貴加入後初のフルアルバム「女性上位時代」はほんと大好きな曲がいっぱい詰まってる。
「キャッチー」というフレーズを浸透させた「sweet pizzicato five」
「万事快調」はもう数百回は聴いてるだろう。


会社帰り本屋で野宮真貴「STAR STRUCK」購入。
さらに家帰って、インターネットで小西康陽「東京の合唱」を発注。


で会社帰りにタワー寄り道して、小西康陽プロデュースのシングル「THE SOUND OF TOKYO!」購入。


帰ると娘が「父ちゃん、見て!」と「合格」とハンコが押された用紙を見せる。
練習のかいあって、通ってるスイミング教室で「顔つけ」のテストに合格したのだ。
よっぽど嬉しかったらしく「ね、凄いでしょ!見て!父ちゃん、見て!」としつこいぐらいに。
笑ってる娘を見てると心の中が本当に洗われていくような気がする。
子供は親である俺にいろんなものを与えてくれる。
俺はいったい、この子に何を残してやれるのかな。


7年乗っていた愛車マーチとさよならして、トヨタのファンカーゴに乗り換える。
早速、娘乗せてドライブ。
中は広々しててなかなか快適。


今週も会社帰りはひたすらピチカート聴き続ける。
小山田圭吾プロデュースの「BOSANOVA2001」はピチカート作品中、最も聴きやすいアルバム。
そこがちょっと物足りなかったりもするが、楽曲陣は素直にいい曲が目白押し。
ポイントを押さえる小西作品もいいが、今聞くと高浪敬太郎のメロディメーカーぶりが素晴らしい。
このアルバムを最後に高浪はピチカートから脱退するのだが、そのニュースを聞いたときも凄く寂しかったなぁ。
「ロマンティーク96」はなんつっても「悲しい歌」につきる。
小西康陽という作家にとっても記念碑的な楽曲だと思う。
全てが音楽の中にある。
喜びも悲しみも全てがだ。
何回聴いても心が震える。
「ハッピーエンド・オブ・ザ・ワールド」の突き抜け方。
「悲しい歌」やその後にシングルで出た「メッセージソング」のような小西の個人的な想いに深く根ざした楽曲の後に、それを越えてさらにその想い(それは時にとても辛く厳しいものかもしれない)をエンターティメントとして昇華させたようなアルバムを作り上げてしまうんだから凄い。
「プレイボーイプレイガール」も名曲揃い。
聴く時の精神状態によって様々な表情を見せる楽曲陣。
「テーブルにひとびんのワイン」が今は気分。


会社帰りに先輩、後輩と飲みに。
軟骨のから揚げをつまみにひたすら無駄な知識を全開にしてのバカ話。
俺もかなり無駄な知識あるがH先輩、後輩のKさんもたいがい無駄な知識が豊富で、こんな話してるようじゃ、もてへんで・・とかなんとか。
だいたい普通サラリーマンの会話に「ケンドーコバヤシ」とかは出てこないわなぁ。


3月最後の金曜日。
退社される先輩の送別会。
前出のH先輩、後輩Kの司会進行で会は進む。
一応、裏方・作家としてこそっとお手伝い。相変わらずH先輩、前へ前へというエンターティメントぶりで感心。
そして会は感動のフィナーレを迎える。
出会いがあって、別れがある。
そういうもんだ。


会は楽しかったが会場の店が最悪。
監獄を模したエンターティメント酒場って感じで雑誌とかによく紹介されてるらしいが、料理はいまいち、配膳の間は悪いは、店員の教育はなってないはでどーしたものかと思う。


会社帰りにピチカートファイヴの最後のベストアルバム「Pizzicato Five R.T.P.」岡村靖幸「OH!ベスト」購入。
それとピチカート解散の特集を組んだ「MARQUEE」誌購入。


今回の日記はほぼピチカートで埋まっちゃったな。
帰りの電車で早速「Pizzicato Five R.T.P.」をディスクマンにセットして聞く。
ラストナンバーは「グッバイ・ベイビィ・アンド・エイメン」
終わって欲しくなくて、何回も何回もリピートする。


今、この時間、東京ではピチカートファイヴの陽気なお葬式が行われている。
琵琶湖のほとりから彼らに献花しよう。
ほんとに大好きだった。
彼らの音楽と出会えただけでも僕は生まれてきて良かったと思う。
16年間、たった数千枚しか売れなかった最初のシングルからずーっとリアルタイムで聴いてきた。
ボーカリストは3代目になり、まるで学生バンドみたいだった小さなバンドは世界中で愛される世界で一番いかしたバンドになった。
音楽だけじゃなくて、アート、ファッション、あらゆるカルチャーに影響を与えた90年代で最も重要なバンド。
その成長振りをずーっとずーっと見続け、聴き続けてきた。
ありがとう、さようなら。
大好きな曲はいつでも3分間で終わってしまう。
だけど、大丈夫。
僕はまた新しいレコードを買ってターンテーブルに乗せる。
どんなに気分が落ち込んだ時でもターンテーブルが回ってたら生きていける。
彼らがそう教えてくれた。


それから、もう一つ、彼らが教えてくれたとても重要なこと。
それは、いつでも「ユーモア」を忘れるなってことだ。
人生は楽しいことばかりじゃないけど、「ユーモア」を決して忘れてはいけない。
そう自分に言い聞かせて、僕は春を迎えることにしよう。

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