「あの頃 〜1984」
1984年、僕はポップミュージックに目覚めた。 もちろん音楽はそれ以前から好きだったけどはっきり僕は「ポップ」な音楽が大好きなのだと自覚したのが1984年、中学二年の時だ。 84年の冬に発売されたリアルフィッシュの「天国一の大きなバンド」というアルバムが最初だった。 プロデュースはムーンライダーズの鈴木慶一。 サックス奏者矢口博康率いるこのインストバンドの作る音楽は初めて聴く類の音楽だった。 ポップでキュートでキッチュでなんだかワクワクする様でそれでいてどこか懐かしい。 そして僕は彼等を出発点に多くの音楽に出会っていく。 リアルフィッシュの戸田誠司、福原まり、渡辺等、友田真吾からなるShi-Shonenは細野晴臣主催のノンスタンダードレーベルからアルバム「シンギングサーキット」を発表。 このアルバムから僕はビーチボーイズの「ペットサウンド」に遡っていったのだ。 そして同じくノンスタから小西康陽率いるピチカートファイヴがデビュー。 デビュー曲「オードリーヘップバーンコンプレックス」を坂本龍一のサウンドストリートで初めて聴いた時、こういうのを「お洒落」って言うんだなぁと京都の冴えない中学生男子だった僕はひどく感動した。 そういえば同じノンスタの鈴木惣一郎率いるワールドスタンダードも坂本龍一のサンストで最初にきいたんだっけ。 ソニーからは今や人気ゲームソフト「パラッパラッパー」の作者として知られる松浦雅也がPSY・Sでデビュー。 「ディファレントビュー」「ピクニック」の2枚は今だにふと聴きたくなる。 少し後になるが坂本龍一の後を継ぐように始まった松浦雅也の サウンドストリートは欠かさず聴いた。 カーネーションやチロリン、ナーヴゥカッツェ、くじらやゴンチチを最初に聴いたのは確かこの番組だ。 あと忘れちゃならないムーンライダーズと高橋幸宏がキャニオン内にテントレーベルをスタートさせたのもこの時期だ。 ライダーズ10周年の時は燃えたなぁ。 それとMIDIレコードには鈴木さえ子がいた。 現ピチカートファイヴの野宮真貴が在籍したポータブルロックやそのポータブルロックや Shi-Shonen、PSY・S等に優れた詞を提供していた佐伯健三(現サエキけんぞう)のパール兄弟もこの時期のデビュー。 僕は14才から17才ぐらいの間「宝島」や「テッチー」を教科書にポップミュージックやポップカルチャーにのめり込んでいった。 あの頃の僕はいつも一人で「人に合わせるぐらいなら一人のほうがいい」なんて強がり言いつつ、どうしようもないやりきれなさと苛立ちでポケットをいっぱいにしていた。 窓の向こうから世界中の憂鬱が僕の部屋に向かってくるような気さえしていた。 そんなときいつでも僕のそばにいてくれたのは素晴らしいポップミュージックの数々だった。 あの頃は本当に恋愛みたいに音楽と向き合っていた。 女の子のことなんかこれっぽっちも考えなかった(・・もてなかっただけなんだけど)。 あれから10年以上たって、僕はさえないサラリーマンで、一児の父親にもなっちゃったけど相変わらずポップミュージックに魅了され続けてる。 そして相変わらず「音楽の魔法」を信じているのだ。 |