第8回 「お笑いノスタルジア〜ラヂオの時間」

popholic

そんな訳で間あきすぎてしまいました。
実に2ヶ月ぶり。・・・忙しかったんです、まじで。

では早速まいりましょうか。

でラジオの話。
同じ関西といえどもディープ大阪出身の東野さんと京都出身の都人である私とではやはり微妙に違いますねぇ。
というのは京都は何故か、ラジオに関しては一種独特の文化を持ってるんですよ。京都には「KBS京都」という強烈な電波を発してる放送局がありまして、大阪からくる電波を全てブロックしていたのです。
ですから「ヤンタン」聞くのもKBSの強力な電波に妨害され結構大変でした。

で私が初めてお年玉で、自分用のポケットラジオを買ったのが小学3年生の時。
当時は日曜の午後にやってたリクエスト番組なんかよく聞いてたなぁ。「全日本歌謡選抜」も必至にエアチェックしてました。
それから4年生になった時、よく聞いてたのが「松田聖子のピンクのスニーカー」っていう30分番組。
デビューしたばかりの聖子ちゃんにぽーっとしてたおませな小学生でした。
この番組の前の30分はB&Bの番組だったっけ。

で本格的に深夜放送にはまっていくのが小学5年生の時。
この年、KBS京都では毎日夜10時からオールナイトニッポンが始まる1時までの生番組「ハイヤング京都」がスタートするのです。
当時のレギュラーは月曜・おすぎとピーコ、火曜・桂文珍、水曜・つボイノリオ、木曜・ザぼんち、金曜・若宮テイ子、土曜・鈴置雄三、日曜・立原啓介という布陣でした。
目玉は当時人気絶頂だった木曜のぼんちでしたが、はっきり言っておさむちゃんは喋りまるでダメで、子供ながら「・・期待はずれやがな・・」と思ったもんです。
でどの曜日をよく聞いてたかというと意外に当時無名の日曜・立原啓介でした。ラジオというのはテレビの人気者よりも「どんな人なんだろう」と想像力をかき立てられる無名の人のほうがおもしろいものなのです。
しかし立原啓介は結局1年で降板、土曜の鈴置(この人はイベント会社・サウンドクリエーターの社長で、人脈をフルにいかしてゲストに人気ミュージシャンが多くでていた。またデビュー前の尾崎豊のライブ音源を放送するなど音楽ファンとしては結構な情報源でした。)が日曜に移り、土曜は島田紳助が務めることになった。
これがむちゃくちゃおもろかった。
今だに僕が紳助氏に芸人として高い評価を与えているのはこの番組があったからこそ。
フリートークの天才、まさに神がかり的な笑いの発想で何度腹筋きれそうになったことか。
そうそうこの番組が「土建屋よしゆき」のデビュー番組でもありました。

しかしこの「ハイヤング京都」で紳助氏以上に僕に影響を与えたのが誰あろう、水曜担当のつボイノリオ氏であった。
名古屋の人気DJとして、またあの放送禁止の代名詞「金太の大冒険」を歌ったシンガーソングライターとしてカルト的人気を誇っていた氏にはもうめちゃめちゃ影響受けた。
「エロ」「ナンセンス」を基本にした、くだらなすぎる笑いの世界にどっぷりつかりこんでしまいました。
必要以上に「ち○ぽ」とか「お○こ」とか「スペ○マ」などという単語がちりばめられた放送は深夜ラジオのおもしろさに満ちていました。
天才コラムニスト・リリーフランキー氏は「男は年齢を問わずしてウンコとチンコの話が大好きである。いや、むしろウンコとチンコ以外の話を話す意味も価値もない」と書いていたがまさにそんな男心を見事具現化したような放送だった。やはり深夜ラジオに「エロ」は欠かせないものなのです。
そういう意味では「鶴光のオールナイトニッポン」は外せません。
「ニュートーの色は何色?」「ええか、ええのんか、最高か?」笑福亭一門の専売特許であるダミ声で発せられる下品な言葉の数々に、毛が生え始めたばかりの少年は強烈なボディーブローをくらわされたもんです。
しかし鶴光師匠は現在もニッポン放送夕方の帯番組「鶴光の噂のゴールデンアワー」において、全く変わらぬ芸風で世の奥様がたにセクハラし続けているというこの事実。
「あー、言うてみー」今日も鶴光師匠のダミ声が夕焼けにこだまするのである。
・・ちょっと横道それ過ぎでしょうか?
このままいくと際限なく下品になりそうなので軌道修正しましょう。

で、まぁそんな京都での深夜放送ライフをエンジョイしてたのですがやはり大阪の番組もノイズ混じりに聞いてました。
そう、東野さんも聞いておられた「ヤンタン」です。
月曜のさんま師匠は僕も毎週欠かさず聞いてましたよ。
僕が聞いてた時のメンバーはさんま師匠に長江健次、大津びわこ。
難民トリオ(後の何人トリオ、村上ショージ、前田政二、Mr.オクレ)のコーナーとか懐かしいなぁ。
当時のさんま師匠はひょうきん族で大ブレイク、「男女7人夏物語」で人気を不動の物にした第一期黄金時代で向かうところ敵無し状態。
おもしろくないわけないという感じでした。
それと火曜の喜門達夫も好きだったなぁ。
名曲「小市民」を最初聞いたときは笑った。
金曜の谷村新司、ばんばひろふみも好きでしたよ。
僕が聞いてた時のアシスタントは三田寛子から松本明子の頃ですね。
ありましたねぇ、エロ系のコーナー。何てタイトルだったっけ。「つぶれぱんだの〜」とか言うんじゃなかったでした。あー、気になる。
それと木曜は一時期紳助氏がやってたがコーナーがかっちり決まってるヤンタンには向いてなかったみたい。
紳助の後をついだのがダウンタウン。この頃僕は大学生になっており深夜放送から少し離れた時期だったからあんまり聞いてないんですよね。

後、オールナイトといえば僕らの世代だととんねるずなんでしょうが、全く聞いてなかったですね。
「夕やけニュンニャン」なんか当時は大人気でしたけど全く見てなかったし。「みなさんのおかげです」では何度も腹筋きれそうなぐらい笑わせてもらったけど、「とんねるず」にはあまりはまれなかったなぁ。
なんか「秋本康臭」が漂っててそこんとこが今だに好きになれない部分ですね。考えたら「喋り」の部分で「とんねるず、おもろいなぁ」と感じたことはなかったような気が。
その感じって「ナイナイ」にも通じますね。

おっと、「言葉の笑い」と「動きの笑い」ってテーマにぶち当たりましたよ。
さぁ次回、どうしますか?

[煩悩会議室]未完のまま終了


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引き続きお楽しみください。