6月22日


昭和62年2月22日私が現在の会社を設立した日でした。
若干25歳の右も左も分からない若造でした。
資本金は従兄弟から借りた50万円と保険の解約金僅かな貯金を含め
150万円しかありませんでした。
体育の講師とアルイトしか経験のない私がいきなり社長でした。
設立から1年ほどたったある日。
東大阪市役所に、指名業者登録の書類を抱えて私は受付で並んで待っていました。
私が順番のときに、若い女性の受付をしていた職員が私の前で電話を取りました。
そのまま20分ぐらい話し出し、背中を見せながらおしゃべりを始めました。
笑っているのも分かり私はの怒りは頂点です。
私の後ろの順番を待っている人たちもうんざり顔でした。
しかしこちらは業者・・・・・職員に文句を言って受け付けてもらえなかったり、嫌がらせをされたら・・・と皆は我慢しています。
その女性職員は笑顔のまま振り向き電話を切りました。
私は、「みんな待っているやろ長電話するな!」怒りを込めて言いました。
辛抱が出来ませんでした。
その女性職員は「業務の電話です。」と怒り出しました。
私は、笑いながら楽しそうに話していたやろ。私用電話や!皆聞いていたぞ!!」と後ろを振り返ると何人かはうなずいてくれました。
奥のほうでは上司がこちらを伺っています。
ぞの職員は私の書類をぞんざいに受け取り、受付を済ましました。・・・・
いまだに悔しい思い出です。
今の私なら・・・「責任者出てこーーーーーい!!!!」
言ったでしょう。
その職員の体質が今だ市役所にはマシになったとはいえ残っていて。
橋下市長の攻撃の材料となっているのでしょう。
当時は採用試験もええ加減で縁故採用、裏口採用が横行してました。

会社設立 26年の小さな思い出です。