神戸ハリストス正教会 Dormition Orthodox Church in Kobe





































































 復活祭


 ハリストス復活!
 ハリストス、キリストは復活されました。このこと程、正教会の、キリスト教の信仰の中で重要なものはありません。「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしい」(コリント第一15:17)、と聖使徒パウェル、パウロも書いています。
 この私達が毎年味わう復活祭の喜びとは一体何なのでしょうか。ある人は言うでしょう。それは心理的な体験に過ぎない、と。しかし、正教会はそのように考えていません。なぜなら、あの出来事、つまりキリストが十字架にかかり復活した、あの出来事は、過去の一回きりの出来事でありながら、永遠の出来事でもあるからです。キリストはアルファであり、オメガである方です(ヨハネの黙示録22:23)。永遠の神様です。そして、どこにでもいらっしゃる方です。そのため、かの出来事は2000年前の出来事であるにもかかわらず、私達の出来事でもあります。遠い地エルサレムの出来事でありますが、私達の出来事でもあります。この復活祭において、私達はあのたった一度きりの出来事に引き戻されます。私達は今キリストの復活に立ち会っています。
 この意味で、キリストの復活は現実のものです。復活祭の祈祷に参加するたびに、私達はキリストの復活ということ程こそリアリティのあるものはない、と気づかされます。
 しかし、別の角度から言えば、この復活の喜びはまだ完全なものではない、とも言えます。なぜなら、私達自身がまだ復活していないからです。キリストが復活されたのは、言うまでもなく、私達人間が復活するためです。キリストは私達の初穂となりました。キリストが死に対して勝利されたのは、私達が死に打ち勝つためです。この世には始まりがあったため、必然的に終わりもあります。この世が終わり、そして来世が始まる時、全ての人間、全ての永眠された方が復活する、というのがキリスト教の教えです。この時にこそ、この復活の喜びは完全なものとなる、と言えるでしょう。
 では、私達のこの今の喜び、この復活祭の喜びは天国における喜びとは、関係のないものなのでしょうか。
 当然ですが、私達はまだ来世にはいません。そして、来世とはこの世に生きる私達からすれば、想像を絶するところです。私達は来世では、今のような老いる肉体、病になり、あるいは食べ物、飲み物がなければ飢え渇くような肉体ではなく、朽ちない体、霊の体、輝かしい体、強い体をとる、と言われています。このようなことを想像する、イメージすることは、この世に生きる今の私達には到底できません。しかし、来世とは私達とは全く関係のない「どこか」ではありません。来世に生きるのは、私達とは違う「誰か」でもありません。この紛れもない私達が、この「わたし」と「あなた」が来世を生き始めます。来世はこの世界と全く関係ないところではありません。むしろ、この世界全体、宇宙全体が来世に移行します。つまり、この世と来世とは地続きのものである、ということが言えるでしょう。この世で誰かと仲たがいしたのなら、来世でもやはりその人とそういう関係でしょう。この世で誰かと互いに愛し合っていたとしたら、来世でもやはり、その人とその関係は続くでしょう。言うまでもなく正教会では、結婚の結びつきとは、来世まで続く永遠のものである、と信じられています。
 そのため、私達の今のこの復活祭における喜びと、来世での喜びが全く関係のないものだとは言えません。むしろ私達は来世での喜び、あるいは逆に来世での苦しみ、悲しみを前もって味わって生きています。神様ともにいる喜びを感じた時、私達は確かに天国に生きています。お祈りをして、静かな心、平安な心が得られた時、私達は天国に生きています。仲たがいした人と赦し合うことができた時、私達は天国に生きています。しかし、誰かを裏切った時、誰かを恨んだ時、誰かを嫉妬した時、あるいは絶望して誰も信じられなくなった時、神様をも信じられなくなった時、地獄の苦しみをこの今において私達はすでに味わっている、と言えます。
 しかし、キリストは復活されました。キリストの復活によって地獄は私達に対する支配を失ったといえます。私達は地獄の苦しみに、もはや囚われ続けることはありません。もし地獄に囚われ続けている人がいたとしたら、それは地獄の力によるのでも、悪の力によるのでもなく、自らの意思で地獄に囚われ続けているのです。キリスト自らが十字架上で死なれ、地獄に降り、そして地獄を滅ぼされました。死を滅ぼし、悪を滅ぼされました。先程読み上げた金口イオアン、ヨハネス・クリュソストモスという聖人の説教に次のような言葉がありました。「地獄は悲しんだ。そこが空っぽになってしまったから。地獄は悲しんだ。恥をかかされてしまったから。地獄は悲しんだ。葬り去られてしまったから。地獄は悲しんだ。打ち倒されてしまったから。地獄は悲しんだ。縛られてしまったから。」(松島神父様による現代語訳)このように金口イオアンは説教の中で、キリストの圧倒的な勝利について述べられていました。
 「ハリストス死より復活し、死をもって死を滅ぼし、墓にあるものに生命を賜えり」という聖歌が、復活祭では何度も歌われます。「墓にある者」とは、悲しみの中にある、そして苦しみの中にある私達自身でもあります。しかし、キリストの復活によって復活の生命、喜びの生命、輝かしい生命がこの私達に与えられました。この喜びをここにいる皆さんと、そして世界中の人々と共有できることを感謝したいと思います。
 ハリストス復活!