上の写真は、アベノハルカス19階展望台にて、左から、美坂・塚本・若原・都留・勝原


塚本君来阪

塚本君から電話があり、1124日に関西に行くので25日に集まれればよろしくとのことで、若原さんと都留さんに賛同いただき、好み焼きと串揚げとどちらを食いたいかと尋ねたとこと、串揚げが良いとのことで、アベノハルカス地上300メートル日本一の高層ビル13階の釜めし串あげ「ぶんぶく」で11時の予約がとれて店前集合とあいなった。

 我が関西二八会がほこる美女?軍団の中で今回は、若原・都留・勝原さんの3名が駆けつけてくれて塚本君ご満悦、最近10人の孫のお世話で忙しく二八会ご無沙汰の勝原さんは塚本君が引っ張り出してくれたのだが、皆さん色々とあわただしい折りご参加いただきました、特に介護5の旦那様のお世話で大変な若原さんご苦労様です。塚本君は関西出身の奥様の用事で関西へお越しとのこと。

 まずは、塚本君も若く見えるね、いえいえ奥様達こそますます美しくなられて、といったほほえましいエール交換がなされ、おなじみの怒涛トークがスタートした。皆さん65歳となり、美坂は2月生まれなのでまだだが年金もフル受給となり、余裕を見せ始めたようである。

 塚本君からは北九州や戸畑の様々な話がでたが、個々人の話題はさておき、人口90万はきるわ、暴力団が元気だわ、提灯山笠の親分が悪いことしたわ、スペースワールド解体とあまり良い話題がなく、関西から見ても北九州怖いところ福岡県警には行きたがらない警察官、有名人いないところ、福岡県の上の方とか戸畑の地理的説明がしにくい等、どうも最近ぱっとしない、底抜けに明るく素直な良い人がいっぱいいる街なのにまことに残念である。

 そこで、北九州とくに戸畑に有名人いないねという話になり、あるじゃんユネスコの無形文化財指定となった戸畑祇園大山笠があるやん、昼と夜の姿が一変する形態は日本でも珍しいことと小倉のしょぼい祇園太鼓に比べてバリエーションのある戸畑祇園のお囃子は素晴らしい美坂も少し太鼓たたいたけど、この提灯山笠を有名にせなあかんと思う、博多の山笠での「博多っ子純情」小倉の祇園太鼓の「無法松の一生」みたいな、物語や映画で一発当てて「ヨイトサ」を日本中にひろめられないかと思うが、だれかやってくれないだろうか?

 と、妄想をぶち上げた昼食後、若原さんからは全員へクリスマスプレゼントのクッキー(とっても美味しかったです)があり塚本君からは皆さん今はなき「メガネのダイマル」特製のシャーペンをいただき、XXと煙は高いところへと向かう、しかしあべのハルカスの最上階に上るには2千円いるので、まずは19階の展望台へ登ってゆき、学生時代あの辺に住んでいたととある方向を指さしながら郷愁にひたる塚本君をせかして、ラウンジでえらく高額なお茶して話題はつきない。

 このあと集合写真を隣のおじさんにお願いして、用事のある若原さん、河内小阪周辺にはたっぷり親戚がいるのでいやだわねの勝原さんとはお別れし、次の目的地司馬遼太郎記念館に向かう残り3名。

 天王寺から環状線で鶴橋まで行き、近鉄奈良線に乗り換えて河内小阪で降りて、途中局所的に有名な「小阪城」=「散髪屋さんが趣味で作っている屋根の上の小さなお城」を見ようと思い、うろうろしたが城の残骸みたいなものしかない、最前の台風でやられたのか見る影もなかった。この辺りは本当に何もない、司馬さんの愛した大阪の下町といった地域です。

 記念館では、安藤忠雄氏設計の建物なかにある圧巻の4万冊の高さ30メートルぐらいの書庫、上からのぞき込む竜馬像、15分の紹介ビデオや2月12日に大阪のNHKホールで開催される「菜の花忌」の準備のために育てられている菜の花を見て、塚本君は司馬さんの遺言ともいえる著書「二十一世紀に生きる君たちへ」を購入し帰路についた。

記念館HPから借用m(__)m

帰りは昔8軒のお百姓さんが中心となってできた村八戸ノ里駅までの道すがら、モラトリアムの時代だと粋がっていた学生時代にもっと勉強していろんな資格を取っておけば良かった、偉そうに子供にちゃんと勉強しろよ言ってもちっとも聞きはしないのは胸に手を当ててみればよくわかるとの反省の弁しきりの男性軍。都留さんはきっちり教員免許をとっていた、えらい。

 ということで都留さんとは八戸ノ里駅でお別れ、塚本君とは鶴橋駅でサヨナラした、塚本君には喜んでいただけたかな?