プラス1フレット加工
この仕事をしていると「器用なんでしょうねぇ」とよく言われるのですが、実は私は特に器用と言う訳では無くてむしろ不器用な部類なんです 「それってリペアマンとして致命的じゃね?」 と、思われるでしょうねぇ でもそれを補う為に昔から色々工夫をして道具を作っています 今回はそんな補い系の道具を使ってプラス1フレット加工の作業をご紹介します プラス1フレット加工とはヴィンテージフェンダー系のように21フレットまでのネックに“ツバ出し”加工をして22フレット仕様に改造する加工で、作業自体は目新しいものでも無くて昔居た東京のリペア店では在籍期間(半年くらい)の間に2本くらい依頼があったと思います 現在はフェンダー系でも初めから22フレット仕様の物が多く、わざわざ改造して1フレット増やす人はほとんど居ないようで当店では開店13年目にして初めてご依頼がありました しかも予算が合えば自分の持っている21フレット物のギター全てに施工して欲しいとの事 1本だけであれば不器用なりに全て手作業で行うような仕事なのですが副本数ご依頼頂けるとなると仕上がりに差が出てはいけませんし、効率良くより正確な作業が出来るように専用工具(治具)を作る事にしました と言っても何十本も加工する訳ではないので簡素な冶具ですがこんな感じです↓ |
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基材はMDFボードと云う 紙で出来た板なのですがこれが加工しやすく安価で当店では特に耐久性を必要としない冶具製作に良く使う素材です これにネック幅より少し幅広な長方形の穴を開け、穴の側面に0.5ミリ厚のアクリル板(画像の黒い板)を貼りつけ、その両端から2ミリ厚のピックガード板端材(白い細長い板)を2本貼り付けただけの冶具です 黒い板はフレット溝に差し込むので指板Rの合わせて先端を湾曲してカットしています これが出来たら加工するネックの最終フレットを抜きます |
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スキャロップドされてますねぇ〜 イングヴェイモデルに施工ご依頼なんです フレットを抜いて露出したフレット溝に冶具の黒い板を差込みクランプで固定します |
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冶具に貼り付けた白い細長い板は湾曲した指板上で冶具を安定させる為の橋桁な訳です インチサイズのフレット溝は約0.5ミリですので黒い板はフレット溝にピッタリハマります この様にネックに冶具をセットしたらトリマーで削ります トリマーとは前回のピックガード製作でも使った電動工具ですが今回は固定テーブルから外し刃物を別な物に交換して作業します |
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ピックガード製作のときは先端にベアリングが付いた刃物を使用しましたが今回は刃物の奥にベアリングが付いています 仕組みは前回と同じでベアリングがなぞった通りに刃物が木を削り出すようになります |
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カメラを設置する場所が無くセルフタイマーで撮影出来なかったので作業途中で機械を止めて撮影しました 画像ではちょっと分かり辛いかもしれませんがフレット溝に挿した黒い板の側面をベアリングがなぞる事でちょうどフレット溝の側面から刃物が当たりネックを削って行く訳です ネックエンドに貼ったマスキングテープに書かれている「19.5」と云う数字は削り残しの厚さが19.5以上になるようにと云う覚書で、これよりも薄くしてしまうとツバ出し部分がピックがードに当たってしまうからです |
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こう云う事ですね |
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削れ方を絵に描くとこんな感じです ピンクの部分が削られる部分ですがフレット溝の側面から削ってこの後取り付けるツバ部分でフレット溝側面を作り直すって感じです |
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ツバの形に大まかに切り取ったメイプル材を貼り付けます この時点で指板Rも大まかに付けています |
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接着クランプ固定して1日乾燥させます ここまで何をしようとしているのか理解出来なかった方もこの画像を見れば理解してもらえたと思います ツバ出しの「ツバ」とは「唾」では無く、帽子の庇(ひさし)部分を指す「鍔」の事で決して唾をぺっぺ出しながら加工している訳ではございませんので(^.^) |
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翌日、接着剤が固まったらツバ部分の表面を指板Rに合わせて調整します 始めは荒い目のサンドペーパーでフレットと平行に削ります 理想を言えば全部のフレットを抜いて全体に指板均しをしないと完璧に指板Rを合わせる事は出来ませんがフレットは新品状態でフレット交換するのは勿体無いですし最終フレットですので最低でも手前の20フレットより高くならなければ大丈夫です 出来ればフレット交換の際についでに加工ご依頼頂くのが理想ですね |
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この次にツバ部分の整形をしますがココなんかは不器用な私でも手作業で出来る事なのですがこの先 同じ加工するギター全ての形状が同じになるようにこの様な冶具を製作しました どのように使用するかと言うと |
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この様にネックエンドに両面テープで貼り付けます 6弦側側面は0.2ミリの薄いアクリル板を挟んで冶具とネック幅の寸法微調整をしています この冶具を使って当店の最新兵器ピンルーターで整形します |
ピックガード製作の時に使用した先端にベアリングが付いた刃物で冶具に習って削っていきます この加工に使用しているピンルーターは高速回転型の小型ボール盤(本来穴開け用の機械)と自作のフレーム&テーブルを組み合わせ去年暮れに自作したモノです |
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この工具の本来の使用方法は画像のようにテーブル中央にあるピン(テーブル裏から貫通しています)に沿って上の刃物で削る作業をするモノで、言ってみればテーブルに固定されたピンがピックガード製作の時のベアリング付きの刃物のベアリングの役目をしていて、ベアリングと刃物が別々になっているのでベアリング付き刃物では出来なかった事が出来るようになるんです 詳しくは次回に記事にさせて頂きます |
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ツバ出し部分の整形が終わったら指板R付けで出来たペーパー傷取りとネック側面側の微調整を中目のサンドペーパーで行います 木目に対して垂直方向の傷は目立ちますのでペーパー傷取りは木目に沿って行います この時せっかく合わせた指板Rが変わってしまわないように注意! この後、22フレットの溝切りをします |
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フレットの溝切り は手持ちの22フレット仕様のネックから位置を割り出して線を引き、ブレや歪み無く直角に溝切が出来るように有り合わせの工具を組み合わせて冶具にしノコギリで溝を切っていきます |
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溝切り完了! このネックの場合この後22フレット部分にスキャロップド加工をしないといけません |
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まず丸ノミで荒削りしてから |
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丸ヤスリで整形して |
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丸棒に貼り付けたサンドペーパーをドリルに取り付けて回転させ最終的なヤスリ傷を木目方向に整えます |
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で、スキャロップド完了! この後、目止め塗装→フレット打ち→着色→クリア塗装→ 乾燥→指板磨き→フレット摺り合わせと作業しますが途中作業は一気に飛ばして |
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ハイ完成! 赤矢印の間が付け足した部分です 接ぎ合わせ、着色ともに上手く行きよ〜く見ないと継ぎ足されている事は分からないと思います 今回のプラス1フレット加工はそのアイデア自体はずいぶん昔からあり、諸説はあると思いますが日本に於いては私の師匠である*PGMの乳井さんが考えられたのが初めてでした 乳井さんがESP在籍時にCharモデルを開発製作した時の事です その試作品はストラトスケールの21フレット仕様だったのですがそれをCharさんに渡したところとても気に入られたそうなのですがそれまで22フレットのムスタングをメインに使っておられたCharさんとしてはやはりもう1フレット欲しいとのリクエストがあったそうです しかもギターの出来は気に入ったので近々あるイベントでぜひ使いたいとも ボディやネックを作り直すには時間が無い… そこで閃いたのがツバ出し工法だったそうで「ツバ出し」と呼んだのも実は乳井さんで、その形がキャップ帽のひさし(ツバ)に似ていたのでツバ出しと名付けたそうです 現在良く使われていてこの記事のタイトルにもした「プラス1フレット」と言う呼び方は後から誰かが言い出したものなのです その後、Charモデルが量産される前に乳井さんはESPを退社する事になるのですがこのツバ出し工法は量産品にも採用されます 量産時には再設計すればツバ出し工法なんてしなくて良いじゃん? と思われるかも知れませんが実はこの工法には強度に関するメリットも兼ね備えていたのです |
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画像左側はノーマルのボディで右側は画像を加工してツバ出しせずに22フレットにした場合を再現しています ツバ出しを採用しなかった場合、ネックエンドも22フレットに合わせて延長しますので、それに合わせてボディのネックポケットも延長する必要がある為に赤矢印で指した部分の厚みが薄くなってしまいます ネックは弦の張力で常にブリッジ側に引っ張られていますがセットネックは接着剤の接着能力で底面、両サイド側面の3面と上画像の赤矢印部分の様にネックエンドがボディに当たる事で張力に耐えています が、ボルトオンネックはネジ強度とネジによって密着された底面の摩擦力と赤矢印部分にネックが当たる事で張力に耐えています ところがボルトオンネックはネジを強く締めていたつもりでも時としてネックやボディの収縮でネックとボディの密着が緩くなる事があり、そうなるとネジ強度と赤矢印部分の強度に頼るしか無くなります この時ノーマルボディの様に赤矢印部分の厚みがあれば張力に十分対抗する事が出来ますが右画像のように薄いとボディが負けてヒビが入ってしまう事になります 残るネジ強度ですがネジ自体は張力に耐えるだけの強度を持っていますがネジを受けるボディの穴はそれほどの強度が無く青矢印方向にネジが喰い込んでしまいますからボルトオンネックは実際のところ赤矢印部分で持っているようなモノなのです ここの強度が無いと最悪この部分が黄色矢印部分から丸ごと折れてしまう事もあります ストラトキャスターでは無いのですが某社のギターで赤矢印部分が非常に薄い上、バスウッドと云う非常に柔らかいボディ材を使用しているモデルがあるのですがこの部分が割れを起こしているのを良く見かけます ツバ出し工法にはこう云ったメリットや専用のボディを持たなくても良いので汎用性がある為に後に多くのメーカーが採用したのだと思います
私の師匠の乳井さんは元々クラシックギターのアマチュア奏者で、私がPGMに入社した当時は乳井さんがギターを演奏するところを実のところ1年くらいでしょうか聴いたことがありませんでした 時々ギター弾くそぶりを見せては 「オレがギター弾いたらお前さんたちビックリさせちゃうからなぁ!」 と言って弾かないんで 『このタヌキ親父ホンマはギター弾かれへんのんちゃうか?』 と思っていたのですが、確か乳井さん家でご飯をごちそうになった時だったと思います、乳井さんが何気にクラシックギターを持ち出し弾きはじめたのですが… クリビツテンギョウ!上手いんです! 確か「アルハンブラ宮殿の思い出」だったと思います その綺麗なトレモロに驚いたものでした そう言えば休憩時間に爪の手入れをしているのを良く見かけてはいましたが あれは鼻をホジくる為に伸ばしているのだと思い込んでいました(^_^;) 元々クラシック奏者であった乳井さんはエレキギターに対する既成概念が少なくエレキギターにクラシックギターの要素をいろいろ導入されました フェンダー系のギターは指板R(指板表面の湾曲)が180Rとキツい(大きく湾曲している)ので弦高を下げると1,2弦でチョーキング時に音詰まりが出てしまうのですが、これを解消するために400Rと云う非常に平らな指板Rを初めて採用したのも乳井さんのアイデアで、普段まっ平らな指板のクラシックギターを弾いている乳井さんにとっては何で平らにするのを躊躇うのか?と思うくらい普通の事だったそうです あと、エレキギターでもギブソンなどはエボニー指板仕様がありましたがフェンダー系のギターにはそれまでエボニー指板の仕様は無かったそうですがシェクター創生期にフェンダー系のギターにはじめてエボニー指板を採用したのも乳井さんだったそうです これもやはりエボニー指板が主流のクラシックギター奏者ゆえ、何の違和感も無く採用したそうです 今でも乳井さんとは時々電話でお話はさせて頂くのですがもう10年近くPGMには訪問出来ていません ギターマガジン2011年8月号でPGMの訪問記事が掲載された時はギター雑誌は滅多に買わないのですが久しぶりに購読しました 黄色い日産フェアレディZの前で立つ相変わらず元気そうなタヌキ親父と先輩の吉田さん、三井さんの顔も見られて嬉しかったです 工場内の写真で壁に立て掛けられた色紙らしき物がチラッと見えるのですがあれはひょっとして吉田さんが書いたジョンレノンの偽サインでしょうか? 私がPGMに居た頃、余りモノの色紙に吉田さんがシャレで日にちをジョンの命日にしたサイン(しかもカタカナ書きだったような?)を書いて壁に貼っていました 数年前にどっかの掲示板で「PGMに行ったっけジョンのサインがあってビビった!」て書き込みを見た時はPCの前で大爆笑しましたよ(~o~) |
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*PGMの乳井さん 「PGMの乳井さん」が分からない方の為にご説明おば PGMと云うのは埼玉県比企郡小川町にあるエレキギター・ベースの組み込み工場で ムーン、ヴァンザント、K-kyui、桑田佳祐さんが使用しているPGMブランドなど手掛け、クオリティーの高い技術でギターマニアに絶大な信頼を得ている工場です 私は29歳の時に親父の末期ガンが発覚し帰阪を決意するまで9年間在籍していました 独立して工房を持った時は「元PGM」と云う肩書きに随分助けられました 退社から20年以上たった今でも「PGMに居た人なら安心して預けられる」とご依頼頂く事もあるくらいです 乳井さんはPGMの社長であり私の師匠です 青森出身で上京当初は木型屋(鋳物などの元になる型を木工で作り出す職人)をしておられて、その時に身に付けられたノミや小刀の刃物細工の技術は後に私たち弟子に伝わっています 元々クラシックギター奏者だった乳井さんはその後、木型屋で培った木工技術を持ってギター製造の世界に入ります フェルナンデスからESPと経歴を重ね、ESP退社後にPGMを立ち上げます ESPは当時の日本の楽器メーカーの精鋭達が集まって出来た会社で乳井さんはフェルナンデスを辞めて参加したと云う形です 乳井さんがESPを辞めると同時に同じくESPを辞めて会社を立ち上げた人たちが居たのですが、それがムーンコーポレーションで、PGMとムーンは系列会社になる事無く、PGMは製造、ムーンは企画販売とそれぞれが独立経営しそれぞれの専門職で協力し合う形態を取るようになります と乳井さんの事を書いているうちにいろんなエピソードを思い出しました 乳井さんと云う人 「オレがギター弾いたらお前さんたちビックリさせちゃうからなぁ!」の様な発言多し 当時数々の武勇伝を聞かされました 当然、真に受けず受け流していたが、後に周りの人からほとんど事実と聞かされる それまで調子良いウソばっかり言う親父だと思っていた(^_^;) 私はPGMに居た頃、会社に関するいろんなデザインを任せてもらっていて K-kyui購入者にプレゼントする手ぬぐいをデザインした時、ギターを弾く信楽焼きのタヌキのキャラクターを入れたのを乳井さんはいたく気に入ってくれました 実は社員内で乳井さんの事をこっそり「タヌキ親父」と言っていたのですが多分知っていんでしょう(^.^) 私がPGMに入ってすぐの頃、新人なのでやらせて貰えるのはボディのバフ掛けくらいだったのですがどんどん艶が出て行くのが楽しくて一日中黙々と夢中で作業をしていたら乳井さんが 「お前さん良いねぇ!千円やるよ」 といきなり財布から千円取り出し手渡された (私の心の声)『え?いや仕事してるだけなんですけど…給料もらってるし(汗』 新作ギターのモデルロゴシールをデザインした時のこと 完成したシールを見てスペル間違いに気が付き、作り直しを乳井さんにお願いしたのだが 「もう〜い〜じゃねぇ〜かぁ〜」 と全然受け入れてくれないので 「作り直し代ボクが出しますからお願いします!」 と懇願したところ「しょうがねぇなぁ〜」と渋々受け入れてくれた 後日 「シール代、お前さんの給料からバッチリ引いとくからな!」 といつもの様に冗談っぽく言われたので 「あ、シール代出してくれるんだ(^.^)」 と思っていたらホントに給料から3万円引かれていた 当時若造で遠慮と云うものを知らなかった私は乳井さんに対しても逆らう事がちょくちょくあったのですが、ある時 「良いよ!お前さんのそう云うトコ好きだよ」 と言われ拍子抜けしてそれ以上言えなくなってしまった 本心でそう言ったのか、それ以上言えない様にそう言ったのかいまだに謎 9年間勤めたPGMを退社する日、こみあげるものを抑えながら先輩たちに挨拶した後、最後に乳井さんに挨拶しに行ったら 「生きてりゃまたいつか会えるよ!じゃぁな!」 とあっさり見送られた 拍子抜けしたがなんか乳井さんらしいな、と思ったら押さえてたものがこみ上げてきたのを今でも覚えています 乳井さんと云う人 それは「愛すべきタヌキ親父」 |