もう残業時間になっていて俺しか会社にいなかった。
会社はテナントに入っていたが、斜め前がなにか騒がしかった。
斜め前のテナントは勤めてる会社の倉庫になってて、普段から物音ひとつしなかったので余計気持ち悪かった。

そぉーっと覗いてみた。
何やら大工さんらしき人が腰に金槌とかサシをぶら下げて作業してた。
翌日、所長に聞いてみた。
「あのぉ、前の倉庫、何かするんですか?」
「あぁ、ここのテナントのオーナーが雀荘するんだってさ(笑。」

3ヶ月くらい経って雀荘がオープンした。
余計なお世話かも知れないが、そこは裏通りにあってそんなに客が入らないんではないかと心配した。
8卓くらいであったが、夜になると客でいっぱいであった。
オープンして2週間くらいしてから、ちょっと顔を覗かした。
「こんにちは、前の○○会社のSです。」
初老のおばあさんが出てきて、「どーもどーも、いらっしゃい。ご贔屓に遊んでいって下さいね。」
と満面の笑顔で言った。「今日はちょっと覗いてみただけです。」「いつでも来て下さいね。」

「そのお婆さんがオーナーだよ。実質はその旦那がオーナーなんだけどね。道楽がてらにやったんじゃないの?」
所長がそう言った。
「それがだな、その息子が警察官でね(笑。」
ちょっとビックリした。当然、麻雀となると金を賭けてやるものだから、そういうもんなんやと思った(笑。


あれから1ヶ月くらいした金曜の6時頃に、ドアがノックされて例のお婆さんが入ってきた。
「ねえねえ、Sちゃんは麻雀出来るよね?一人欠けたから入ってくれない?(笑」
「あぁー、いいですよ。」軽く答えた。

「Sちゃんが入ってやってくれるって(笑。」
「はじめまして、Sです。」
「こっちが愚息のTです。」とお婆さんが指でさした。
「Tです、はじめまして。」
図体のデカイ男であった。歳は40そこそこと言ったところか。
所長の言葉を思い出した。ははーん、この人が警察官やな。
「早速はじめましょうか。お手柔らかに。」とT。

ルールとレートを聞いてビックリした。
ルールは食いタン無しのなんでも有り。オープンリーチも有り(2翻、オープンリーチ振込みはヤクマン扱い。但し、リーチをかけての振込みはそれには従せず。)
焼き鳥、割れ目有り。ブットビは無し。ウマが場に6。25000持ちの31000返し。
それとリーチをかけて裏ドラと同じ現物牌を持っていれば、1個につき3000円(これを『オメコ』と呼ぶ。1オメ2オメ・・・)。
2オメツモで18000円である。
レートは点30。箱割れで9000円である。ヤクマン祝儀は各20000円(観戦者も払う(笑。)。
ブットビ終了が無い為、負けてる人は蟻地獄である。
全て半荘ごとのキャッシュ払い。紙には書かない。点棒をみんなで確認し合って清算する。
これは仕事柄、証拠として残さない為らしい。
正直、止めようかなと思った。
しかしもう席についていたので、どうにもならなかった。
「すごいインフレ麻雀ですね・・・。」
「いやそうでもないよ。終わってみればそんなに動かないから。」
その言葉を鵜呑みには出来なかった。

ハッキリとは覚えてない。
その日半荘6回くらいで20000円くらい負けたと思う。
レートが大きかったので守りに入ってしまったからである。
ただ印象に残ったのが、殆どみんなオープンリーチをかけてくる事であった。
俺は普通のリーチしかしなかった。
どんなに良い待ちでも、どんなに迷彩効かしてもオープンなら振込みは皆無であるのと、みんな当たり牌を使って手作りをしていくから不利ではないのかと疑問に感じてた。
オープンリーチって損なのになぁと思いながら帰路についた・・・。
次の日の土曜、夜までグッスリ寝て銭湯に行った。
「オープンリーチか・・・。」ずっと頭の中に響いていた。

ちょっと興味があり、次の金曜、またその雀荘に顔を出した。
「こんばんはー。」
「やあ、いらっしゃ〜い。」息子であった。
「もうすぐメンバー崩れるから、またSちゃん入ってね。」
「え?・・・」
1時間くらいであろうか、「そろそろ時間だから約束通り俺抜けるね。」と言って1人が席を立った。
「さ、Sちゃん席が空いたよ(笑。」自ずとそこに座れと言われているかの様であった。
よし、やってやるわ。心の中で呟くまでもなく席についた。

その日、俺以外の人全員が絶好調であった。
点数は-15とか-8とか大した事はないのであるが、オメコが大きかった。
リーチをかけて上がる度にオメコが乗った。
半荘3回くらいでオメコだけで30000円ほどになった。
電車の始発が出る4時過ぎに「もうこれで今日は終わりにしてもらえまんせんか?」
負けを認める言葉を言った。息子が「もう終わり?まだ時間いいんじゃないの?」
「いや、今日はいくらやっても勝てませんから・・・。」
半荘8回くらい終わったところである。それでも60000円くらいは負けていた。
当時130000円の手取りの俺には痛い金額であった。
「そうか。まあそういう日もあるよ。じゃまた今度にしよう。」負けが大きいのがみんな分かっていたのでお開きとなった。

さすがに土曜の朝5時の電車には人はまばらであった。
席も十分空いていて疲れきった体を投げ出した。
「そうか、わかったど。そういう意味やったんか・・・。」
ひとりブツブツ言いながら電車の中で風鈴の様に体を揺らしていた。

その雀荘には顔を出さない様にした。あれは麻雀ではないと分かっていたからである。
幸いにも誘いにも来なかった。「もうあそこで打つのは止めよう。」と思っていた。
1ヶ月くらい経った日の金曜の夜、「こんばんは〜、Sちゃん。」雀荘のお婆さんがにこやかに入ってきた。
「Sちゃん、できる?(笑。」親指と人指し指、中指を擦り付ける仕草をした。
もう打つ気はなかった。「いやあ、今日はまだ仕事終わってないんで・・・。」
「そんな事言わないでさー、ほら仕事終わってからでいいからさ(笑。1人いなくって卓にならないんだよ。」
両手を顔の前で合わせて、「お願いっ。」って懇願された。
打ちたくはなかったが、「ほな、ちょっとだけなら・・・。」
後で後悔する事をこの時は察知する事も出来ずに。

顔は知ってるが名前は全く分からない連中が暇そうに指で牌を弄んでいた。
いつものメンバーである。
この日、事件が起こった。


開局早々の東1である。
席が決まり俺の上家の人が「ちょっとトイレ。」と言って席を外した。
数分後に帰ってきて、「お待たせ。さ、始めよう。」
中盤に下家の息子がリーチと言って、牌を開けた。オープンリーチである。
当たり牌の部分だけを開いて、待ちに関係のない牌は伏せている。
1-4-7、2-5pくらいの多面待ちだったと思う(ハッキリと覚えていないが)。
対面が1牌捨て、上家が1牌捨てようとした瞬間、捨てようとした牌の隣の牌も一緒にくっついてきて、それが河に落ちた。
5pであった。
瞬間「ローーーーーーーンッ!!」息子が叫んだ。

「いや5pを捨てる気はなかったんだ。6pを捨てようとしたら5pも一緒に引っ付いてきたんだよ。さっきトイレに行って手を洗った時の水気が残っていて牌がひっついたんだよ・・・。」
「どういう理由であれ、河にあるのは5pだから捨てたと見なされるよ。」息子が間髪入れず言った。
俺も呆然としてた。息子の言う通りで反論はどこからも出なかった。無音な時間がゆっくり流れた。
ヤクマン祝儀は一律で20000円。これで息子は60000円懐に入る事になる。
わざとでないのは分かっていたが、いきなりの20000円はこたえた。
「やっぱり打たなんだら良かった・・・。」悔やんだ。
結局この日は息子の1人勝ちであった。
俺は祝儀を入れて40000円ほどの負けであった。
と同時に追詰められた獣のように血が騒ぎ出した。

2週間後の金曜の夜、今日負けたら麻雀を止めようという強い意志を持って雀荘の扉を開けた。
「こんばんはー。」
「いらっしゃぁい。」お婆さんのいつもの明るい声が聞こえた。
「おーーーーい、こっちこっち。」奥から息子が手招きしながら、俺を呼んだ。

そこはもう卓が立っていた。
「5人いるから2抜けでやろうよ。」息子が言った。みんな賛成した。

色々考えて秘策を練ってきた俺はもちろん帰る気なんぞ全くなかった。2抜け上等やないか。

その回が終わった。
息子が負けてるらしく、点棒入れにはまばらにしか点棒が入ってなかった。
「さぁ、次やろう。2抜けだからMちゃん抜けね。」と対面に言った。
「今日は全くツイてないよ。ずっと負けてるよ〜。」息子が言った。
俺はあんまりその言葉を聞いてなかった。

1回戦目は俺の僅差のトップ。10000円強の勝ち。
この日、俺は2抜けになりたくなかった。2位になりそうになると全ツッパで振り込んで3位になったりした。
それでも金は増えていった。

半荘5回目で夜の10時頃であろうか、山場が来た。
息子はその日ほんとうにツイなくって、この時点で80000円ほど負けていた。
俺は40000円くらい勝っていた。でもそれくらいの勝ちはすぐにとんでしまう。
「ここが勝負やな。」

東4の時点でトップは息子。俺は僅差の2位につけていた。
息子にトップを取らせたくなかった。阻止しなければ流れが変わりそうだったからである。
南1
俺の親番。イーシャンテンからなかなか張らず、対面にリーツモドラ1を上がられた。
2000点を泣く泣く払った。「くっそぉ。最後の親が・・・。」
南2
息子の親。
「リーーーチッ!」中盤、息子がリーチをかけてきた。2-5-8sのオープンリーチである。
俺はめげなかったし、オリなかった。
終盤の入り口でようやっとテンパった。
「リーーーーチッ!オープン!!」8m2枚、4p2枚を開けた。
「なんだよ、シャボでオープン?そんなので勝てるの?(笑」と息子が笑った。
勝算がない訳でもなかった。息子の待ちの2s、8sはアンコで持っていたからである。
もちろんその牌は伏せているので息子には分からなかった。
息子は指に力を入れてツモるがツモる気配がなかった。と言うより息子の待ち牌はないのではないかと俺は感じた。
リーチして3巡後、4pの心地良い盲牌の感触を確かめながら、「ツモ!」と言った。
手牌を開ける前に王牌に手が伸びた。「あったぁ・・・。」2sが寝ていたのである。薄っすらと涙が出てきた。
「えっ?」「え?」「あ?」「えーーーーーー?」手牌を開けた瞬間に一同があっけにとられた。
「4暗刻・・・。」

結局その日は俺の1人勝ちであった。
50万強の勝ちだった。
南2の勝ち金だけで役満祝儀80000円(観戦者1人)、オメコ27000円、後点数モロモロが入るのでこの回だけで15万ほどは勝ったのである。
後はもう流れに任せて打っていれば良かったのと、波に乗ってしまえば負けなかった。
何と言ってもオメコがよく乗った。これが大きかったのとそれが狙いであったのだ。
ここの麻雀は麻雀と言う名の絵合わせなのである。オメコが乗らないと勝てない。負けててもオメコがあれば金が入る。
点棒なんかそんなに問題ではない。ハコになってもオメコが3個あればそれだけでチャラである。
何故ほとんどオープンにするかも理解出来た。振込みはあまり魅力はない、ツモってオメコを乗せるのが勝つポイントであったのだ。
誰かがリーチをかけたらオープンで追っかけないと意味がなかった。
如何に早くテンパイして、早くツモるかの競争であったのだ。だが闇雲にオープンしてもツモらない。ツモる運を引き寄せるまでは辛抱してヤミに構えたりしたのである。
だから4暗刻を上がった後はどんなテンパイでも全てオープンにした。それも不思議とツモってくる。
その日の勝負は俺が4暗刻を上がった瞬間に終わってたのであった。


当時はまだ風営法が施行されていなかったので、朝まで飲み屋はやっていた。
1軒のクラブのドアを開いた。
「いらっしゃあーい。」女の声がした。
「店長か、ジャーマネおる?」
女が男を連れてきた。「ここの店長ですが・・・。」
「ここに30万ある。これで心置きなく遊ばせてくれへんか・・・?」

身も心もボロボロであった。