俺が麻雀に目覚めたのは、大学1年の時である。
ただ、牌を触り始めたのは小学6年の時からで、今でいうドンジャラ感覚で遊びで打っていた。
高校の時は部室で麻雀をしていて先生に叱られた時もあった。当時から点1くらい(1000点10円)で仲間内で打っていた。
大学に入ってからそれなりに仲間も出来て点5くらいで雀荘で打っていた。
ある日、連れから「2年の先輩とアパートで徹夜で打たないか?」と誘いがあり、腕に自信があった俺は即OKした。
「今日は点10(1000点100円)で打とうか?」と連れが言ってきたので、ちょっと躊躇したが「ええよ」と返事をした。
先輩達はすごく手慣れ感じでテンパイも早い。なかなかトップを取れずジリ貧状態になった。
筋は通るものだと信じきっていた俺は全てのリーチに対して筋ばっかりを頼りに打っていた。
ある局親がリーチをかけてきた。早い順目に5sを切っている。筋を頼って8sを一発で切った。
「ロン!」カン8sの一通であった。おまけにドラをアンコで持っていた。
ひとりが言った。「詐欺やな(笑」
夜が明けて集計すると、俺は−102であった。10000円かよ…。
当時仕送りとして60000円であった。下宿代で30000円払わないといけない。残り1日1000円で暮らさないといけないので10000円は大金であった。
しかも、母が内職で稼いでくれていた金であった。貧乏であった実家はそうしてでも俺を大学に出そうと思っていたのである。
「3-3-4な」カン8s野郎が言った。
意味が分からなかった。「3-3-4って?」
「9月に3000円、10月に3000円、11月に4000円でいいから」
屈辱であった。
pululululululu・・・ガチャ
「・・・おかーちゃん、ええ電卓買いたいから10000円送ってくれへんか?」
「10000円もするん?・・・・・明日振り込んでおくわ・・・。元気にしとるか?」
「うん、元気やで・・・。」
・・・ガチャ
涙が止まらなかった。
「これ渡しといてや。」と言って10000円を連れに預けた。
その日から俺は復讐を誓った。麻雀ごときで負けてたまるか。
近代麻雀、プロ麻雀等麻雀に関する本を読み漁った。この時に点数も覚えた。
中古の雀卓も貰って一人黙々と牌を積んでは崩し積んでは崩しの繰り返しをした。
そのせいか今でも左手薬指には雀タコがある(左利きである)。
いつかあいつらをぶっ潰してやるとの思いと母に顔向けが出来ない事もあって、正月は実家に帰らず黙々と雀卓と対していた。
2月のある日、連れが誘ってきた。
「前の先輩達がまたお前と打ちたいって言っているよ(笑。打つ?」
とうとう決戦の時が来た。「ええよ。打つ。」
「あれ、手付き良くなったなぁ。積むのも早くなったし。」8s野郎が話かけてきた。
「そうですか?」と平常を装い俺は答えた。心では「お前らに復讐する為にずっと練習してきたんや。」
取り敢えず、危険だと思う筋だけは抑えて他は全ツッパでいこう。
この判断が全て的中した。リーチかけたら一発でツモるし、マンガンクラスは8割ガタものに出来た。
5局くらいでちょっとツキがなくなってきた。とうとうラスを引いてしまった。
トップ、2位を守っていたがそろそろヤバい雰囲気になってきた。
7局くらいのトータルが+50くらいであったと思う。
そろそろ夜が明けてきた頃に、ひとりが早いリーチをかけてきた。
俺も早い2シャンテンでもう降りる事が出来なかった。「全ツッパで勝負や。」
1シャンテンになったがなかなかテンパらない。
リーチもなかなかツモらず焦った表情になっていた。後で聞いたらカン3pでドラがアンコだったらしい。
3pはひとりがアンコ、もうひとりが1枚持っていて全て使われていた。
終盤の入り口あたりでやっと俺はテンパった。リーチしようかと思ったが、これも1枚しか残っておらず、リーチの現物であったのでヤミにした。
しかし、なかなか出ない。「なんで、出ないんや・・・現物やで・・・」汗が出てきた。
残り10牌くらいになって上家が何気なく4枚目の現物の9pをツモ切りした。「ロン!!」汗が噴出した。
「国士かよ・・・」振ったのは紛れもなく8s野郎であった。
トータルで+130くらいだったと思う。その他に全員からヤクマン祝儀で各5000円貰った。
「強くなったなぁ・・・。またカモってやろうと思ってたのに(笑。」8s野郎が言った。
「いや、ついてただけや。」
何日かして高価な電卓を買い、母に「春休みは帰るわ。」と手紙した。