吉井勇

吉井 勇(よしい・いさむ)プロフィール
(1886〜1960)歌人
1886年鹿児島藩士吉井友実の孫として伯爵家に生まれる。
政治経済科中退。新詩社に入社。北原白秋、木下杢太郎とともに「パンの会」を結成。第一歌集は酒や女に関した「酒ほがひ」。その他「午後三時」「水荘記」「蝦蟆鉄拐」等たくさんの著書がある。
晩年は、爵位を返上し隠居、北白川周辺に住み祇園に通ったといわれている。



代表的作品から

いのち短し 恋せよおとめ
赤き唇あせぬ間に
熱き血潮の冷えぬ間に
明日の月日はないものを

いのち短し 恋せよおとめ
いざ手を取りて彼(か)の船に
いざ萌ゆる頬をきみが頬に
ここにはだれも来ぬものを

いのち短し 恋せよ少女
波に漂(ただよ)う 舟の様(よ)に
君が柔手(やわて)を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを


これも吉井勇の詩である。

「珈琲の濃きむらさきの一碗を啜りてわれら静こころなし」

かなりの珈琲通である。



また、今回御紹介のところから少々東方になりますが、浄土宗総本山・地恩院の南門前にあったのは 室戸台風被災師弟愛の銅像の下に吉井勇の詩が銅版に刻まれたものです。

「かく大き愛のすがたをいまだ見ず,この群像に涙しながる」

この詩の背景
昭和9年9月21日室戸台風は激烈を極め京都府下に於て西院(当時淳和校)初め11校の校舎が倒れ、一瞬にして先生や児童など174人の生命を奪った。
この時、親鳥が雛をかばうように挺身7人の教え子を守って倒壊した校舎の下に殉じた西院校1年担任の松浦寿恵子先生の純愛の精神と勇敢な行動、責任感に世人は深く感動し、この崇高な師弟愛の姿を永遠に記念し、併せて被災師弟慰霊のため等身大の青銅像を建立したが、祖国の非常時(太平洋戦争)に姿を消してしまった。その後、教育を愁う全国の有志の協力によって昭和45年に再建された。のが室戸台風被災師弟愛の銅像です。

それを見た吉井勇が詠んだ詩が書かれたものであるということです。
花街や色恋以外にも彼の感性を感じさせるものだと思います。


他に京に関する詩が二つ見つかりました。
「京の夜や遊びのはての寂しさをかたるがごとき宗達の幅」
「京に来ぬ 山紫水明処といへるその家の名をなつかしみつつ」


出展:http://www.kyoto-wel.com/mailmag/ms0105/mm.htm

     戻る