(一)



高野街道は大阪市内の四天王寺と高野山の金剛峯寺を結んだか街道
高野街道には西高野街道・中高野街道・東高野街道と下高野街道があります。
本来、下高野街道は四天王寺(大阪市天王寺区)−田辺村(東住吉区)−布忍村(松原市)−八下村(堺市)−狭山池の横を抜け−岩室村(大阪狭山市)で西高野街道と合流します。
又は狭山新宿(大阪狭山市)で中高野街道と合流しました。
中高野街道は長野村(河内長野市)にて西高野街道と合流し高野街道となります。

高野街道
橋本から高野山に行く道筋は三種類の道筋がある。
1.町石道 2.京・大坂道 3.勅使坂
今回は京大坂日を上ることにした。
高野街道
新熊野案内記(二)に於いては、学文路→河根→椎出(高野下駅・南海高野線)まで歩いたが、(三)ではもう一度「学文路」から「女人堂」そうして、高野山金剛峯寺に参拝して熊野街道下辺路の入り口を垣間見たく思う。

→ 河根 →
                                           

学文路駅を望む 学文路八坂神社から上ってくる高野街道と合流 (左)西光寺・(右)杖ノ梅天神


学文路苅萱堂「西光寺」 学文路の坂 繁野



高野街道

→ 河根 → 河根 → 尾細→ 桜茶屋→ 神谷→     

元本陣「中屋旅館」 二里石(千石橋横) 千石橋


千石橋(右河根・左作水) 千石橋から丹生川を望む 作水への坂(大変急坂)


作水(西郷) 作水
(左に行くと高野下方面に行く国道370号線に合流)
また急坂


細尾(西郷) 昼ご飯を焚くかまど 細尾(西郷)


第六の地蔵 桜茶屋(西郷) 桜茶屋(西郷)


日本最後の仇討ち場所 殉難七士の墓 一里石


上「河根 丹生神社」中「極楽橋駅」下「神谷駅」 白藤小学校(今は休校) 神谷(西郷)



→ 橋本→ 鶯谷→ 小田原谷 → 女人堂 → 金剛峯寺→ 熊野小辺路入り口 →
         

神谷の地蔵 峰向こうが南海高野線終点「極楽橋駅」 光之滝(こうのたき)


鶯谷の集落の入り口 黒河口女人堂跡 黒河(くろこ)口(高野七口の一つ)
極楽橋から不動坂にて高野山に入山しようと思っていたが、神谷から極楽橋に通じる道が崖崩れの為に通行できないとの看板があり、黒河口の方に迂回した。
後で聞くところによると、別段極楽橋への道は支障がないとのことだった。
徳川家霊台(小田原谷)前の紅葉 不動坂口(高野七口の一つ)より高野山を望む 不動坂口女人堂

→ 橋本→ ごくらくばし→ ふどうさか→ はなおれざか→ 女人堂

この通行止の看板で左折したが
今回は右折して極楽橋に向かう
南海高野線と遭遇 極楽橋と極楽橋駅(南海高野線)


高野ケーブル 不動坂 満丈が嶽(この下は断崖絶壁です)


兒瀧 清不動堂 花折坂


自動車専用道路との合流点


女人堂 金剛峯寺

   

金剛三昧院入り口の奥に
小辺路への大滝口に通じる
左「金剛三昧院」 右「小辺路」 これより熊野古道 「小辺路」


寺内安林の熊野案内記はこの小辺路入り口から書かれている。

高野山より熊野本宮まで十八里、本宮より新宮まで九里八町、新宮より那智迄五里
高野山奥院にて
     常灯や心あるべき初嵐
高野大塔より五六町行、ぬり橋より右へ熊野道也。山道五十町にて大たき村、家多し
     大滝やちしほに見ゆる紅葉有

この様に、案内記は続く。
さて次回何時になるか分からないが、この小辺路を歩くことにしよう。
ゆっくりと、テントと寝袋を担いでの旅となりそうだ。

三日目は以上の行程を歩きました。約20Km
平成22年11月8日(月)午前10時(学文路駅)〜午後5時(女人堂)

追加平成22年11月24日(水)神谷〜極楽橋〜不動坂〜女人堂への道を歩きました。