黐木舎



平成14年(2002年)
8月






8月28日(水)雨
久しぶりの雨です。
これで境内の草木は息づくことでしょう。
今私がいる部屋は、雨が降ると屋根に当たる雨音が部屋の中まで聞こえてきます。
この音が私は大変好きです。
小さな頃のことを思い出します。
神社だからでしょうか、家には大きな番傘がありました。
今見れば普通なんでしょうが、小さな頃の記憶なもので、大きく思ったのでしょう。
雨が降るとその番傘を持って用もないのにいつまでも立っていました。
雨が番傘の油紙に当たり跳ね返る音をいつまでも聞いていたものです。
その番傘もいつしかコウモリ傘に変わり、聞くこともなくなりました。
幼い頃聞いた番傘に当たる雨音が、この部屋にいて雨が降ると、ふと思い出させます。
今年の暑い夏ももうすぐ過ぎ去ろうとしています。
「傘広げ 駆け込むこども 今は居ず」


8月10日(日)晴れ
犬散歩に時折、近所の大池付近を通るとき人間が手を加えることが、愚かではないかと思うことがある。
この大池はつい最近まで農業用水の溜め池として活躍していた。
大阪の河内は、瀬戸内海気候に属する為か、夏場雨が少なく、そのために先人は沢山の溜め池を造って農業用として使った。
農民は溜め池を慈しみ、いとうことなく水草やゴミの除去などの管理をすることにより、いつも満々と水を溜めていた。
しかし、近年の農地の宅地化、農家離れで稲作をすることもなくなり耕作地が減ることにより、溜め池の存在価値が無くなり、沢山の溜め池は売却され埋められる結果となったのです。
この大池も、市に売却去れたものの、市は昨今の財政難のあおりで放置され数年経ったのが今の状況です。
自然は数年で元の池のあるべき姿に戻してしまいました。
水も水草の浄化により澄んでいます。
自然の凄さを感ぜずにはおれません。
これを一番喜んだのは、季節の渡り鳥でしょう。
この風景いつまでも残って欲しいものです。
市もこの状況をふまえて、今後の自然を残した開発計画を立てて欲しいものです。

大池大池・水鳥
大池大池

池面を渡る風は、本当に心地よく涼しかったです。


8月4日(日)晴れ
布忍神社に参拝時間を設け、朝の6時に開門そうして夜の9時に閉門となって早くも1ヶ月余りが過ぎたが、何も事無く過ぎて本当に良かった。
夜の9時から朝の6時まで、原則として境内には人間は誰もいないわけである。
経費節約のいっかんとして、境内の水銀灯もメインの一灯と、拝殿前の献灯を残して全ての街灯を深夜12時で消灯とすることになった。
深夜になると境内がずいぶん暗くなった
拝殿前の献灯も深夜には消灯することを計画している。
そのようなさなか、この誰も入らない境内で微笑ましい風景が目撃されるようになった。
母猫とその子供三匹が、この暑い夏の夜境内を我が家のように走り回り、寝そべり、子供同士がじゃれ合ってるではないか。
夜私が近づいていくと、まるで邪魔者が来たように、母猫は私に向かって、あの猫属独特の背中をせり上げる姿勢の攻撃態勢で威嚇をしてくる。
三匹の子猫も母親に負けじと同じ体制で、私に向かって「ニャオー、フー、フー」と威嚇する姿を見ると、何となくニャと笑ってしまう。
この神社の森の夜を支配するのは、自分達だというかでもある。
夜の住人は他にイタチが今のところ確認しているが、昔ほどではない。
夏の今頃いつも顔を見せていた木の葉ミミズクはこの10年ほど姿を見せない。
そういえば、私の幼い頃本殿裏に大きな樫の木があり、その洞にはフクロウが居た。
誰かが逃がしたのか数匹のリスも居た。
20年前居本殿を改修したとき、本殿の裏の板壁には3カ所ほど小さな穴があいていたので、大工さんにこの穴は何かと聞くと「この穴はキツツキが開けた穴だ」と云ったのを今思い出す。
今まで開けっ広げの神社だったので、夜警備上暗くては良くないと、防犯灯を沢山付けていたわけだが、ある種の動物にとっては迷惑千万な事ではなかったろうか。
都会では本来の闇を取り戻すことは出来ないにしても、少しは夜の住人に敬意を払う意味でも少し暗くしてみようと思う。
経費節約にもなることだし。


8月2日(金)晴れ
友人の西川清博氏からPLの花火大会の写真送られてきました。
載せさせていただきます。

PLの花火大会PLの花火大会

PLの花火大会写真提供:西川清博氏


8月1日(木)晴れ
日めくりのカレンダーも何となく残り少なくなったような気がする。
今日は旧暦では6月23日八白の辛(かのと)仏滅である。旧暦の6月23日は仏滅と決まっているわけだがね。
今日は
◎八朔・水の日・観光の日
◎弘前ねぶた祭り
◎八戸三社祭
◎省エネルギーの日
◎土用二の丑
◎自然公園クリーンデー
と書かれてある。
本当に毎日毎日色々な日に指定されてあるものだ。
そうして今日はPLの花火大会。
神社の横の宮場橋からよく見えるので、見物に行こうと思って出て行くと、見物客が皆帰ってきた。
前から来る知り合いの人に「終わったの」聞くと「宮司さん、もう終わったがな。来年まで待ち」と云われてしまった。
そういえば、ここ数年見た例しがない。
日本中で色々な花火大会があるが、基本的に日本人は花火が大好きなんだろう。
花火で夜空を彩れる日本は平和なんだろうね。
太平洋戦争の末期の堺大空襲を見た近所の古老の話によると「空襲と云えども、あんなに綺麗に見えた夜空はなかった。PLの花火なんてもんじゃなかったで」と云っていたのを思い出す。
これからの半月は、日本中で戦争とは何かという年一度の学習をする。
この学習をしている間は、日本は平和なんだと考える。
しかし、その戦争に今一つの終止符を打とうとしている。
そうして次の段階に行こうとしているのだろうか。