黐木舎



平成14年(2002年)
3月






3月23日(土)晴れ時々曇り
今日は花冷えのする一日です。
数日前に朝起きて、ご本殿を初め各摂社・末社に日供(神への日々のお供えもの)をお供えしようと、初めに春日社と水分社に詣でると、そこに誰が何時の間に上げたか分からないが、文様を丁寧に描いた石がラップに包まれて供えてあった。
以前にも一度このような事があったのだがと思いながら次の稲荷社に行くと、やはり同じように桜の花を形取ったような文様と貝殻文様(貝の形をした石だったからだろうか)を石に絵の具で綺麗に描かれ、社前に丁寧に置かれていた。
境内には樹齢450年余りの楠木の大木がある。
その前には民間信仰的に大蛇を御神体として祭られた白姫社と白蛇社がある。
その前に行くと、ヒョットコ顔とオカメ顔を描いた石が置かれていた。
そうして、もう一社の淡島社にも意味不明の文様の描かれた石が置かれていた。
これらの石を、誰が何故これらのお社にお供えしたのか意味が分からない。
拝殿前にないところを見ると、扉の閉まっている夜中に来て供えたのであろう。
しかし何となくユーモラスな顔や幾何学文様は見ていても飽きない。
ヒョッヨコやオカメの顔は、石の形も吟味したのであろうと思われるくらい、それなりに適した形をしている。
素人絵では在るが、これもアートかと思うほどの出来栄えである。
しばらく置いていたが、参拝者が不思議に思うのか、私に「変なものがお社にある」と言って来るので「いや、変なものではなく、何か祈念して置かれたものでしょう」と言っていた。
しかし、これらの石が各社に置いてあると、参拝者は気持ち悪いなんていうものだから、それじゃとばかりに、一同に集めて今日楠の大木の根の間に置く事にした。
ここに置くとなぜか、水を得た魚のようにぴったりと落ち着き、お参りした人も何か作品を見るかのように眺めていく。
何かユーモラスに私に語りかけてくるように思え、参拝者を癒してくれているようにも思える。
これらの絵を石に描き供えた人の意図は私には分からないが、私としてはこのようなお供えは大歓迎である。
見ていても何かしら楽しい。

ヒョットコ・オカメ
楠の大木の幹に置かれた石に描かれたヒョットコ・オカメ

ヒョットコ・オカメ幾何学文様と貝殻文様
ヒョットコ・オカメ        幾何学文様と貝殻を描いた石


3月17日(日)晴れ
生けるものすべて、何時かは死を迎える。
私も53年という年月を生きてきた。
その中でもし今のように近代医学が進歩していなければ、3歳の時に死んでいたようだ。
両親がいうには、3歳の時に破傷風にかかったらしい。
熱を出して寝ている時に偶然にも遠縁の外科医のN氏が来て緊急処置をしていただき一命を取り留めたらしい。
「偶然」
この偶然が一生を変えてしまうことが時折ある。
考えてみれば私がこの世の中に生を受けたのも、偶然の仕業かも知れない。
現代、医学の発達というか進歩とでもいうか、このことによって人間がこの地球上で膨大に増え続けている。
発展途上国における人口増加を考えると全てを医学の発達とはいえないが、その一端を担っていることは確かである。
今科学は神の領域まで入りつつあるという。
一度生を受けたものならば、死することは誰でも嫌なことは確かであるが、生かされ続けることもどの様なものだろうか。
これからは偶然が死を迎える要因になるかもしれない。
そうして、死の選択は自分自身がしなければならに時が来るかもしれない。
安楽死を法律的に認めた国があるが、これも神の領域に入ってきたのだろう。
今年80歳にならんとする私の母が、昨年の9月心臓にペースメーカーを入れた。
このまま楽に死なせて欲しいと嘆願した母ではあるが、今では元気にしている姿を見るのも嬉しいものだ。
これも医学の発展によるたわものであろう。
我が母に対して医師は「あなたは心臓意外何処も悪いところはない、パースメーカーの電池は7年持ちます。後3回は入れ替えることが出来るでしょう」といった。
7X3=21である。ということは79+21=100
要するに医師は100歳まで生きるであろうと言ったことになる。
これから先どのようなことがあってもこのペースメーカーのスイッチは本人以外の誰も切ることは出来ない。
この母の一番の心配事は、これから先長生きすることによってボケ、人に迷惑を掛けないかということである。

神と共に生き、死も神の意思として受け入れ、一切の治癒的処置を拒む宗教団体もあることを思い出した。
宗教が、今の生と死をどの様に解釈し受け入れるか、問い直す必要がある。



3月7日(木)曇り
昨日は啓蟄であった。
この日から、地中の虫が春を感じて、土から這い出してくるといわれる日であるというのに、冬に戻ったような寒い日と今日はなった。
昼過ぎ電話がかかる。
その電話は、娘が何かに取り付かれて夜金縛りにあったり、肩に何かが乗っかって来る、その霊を取り払う祈祷をして欲しいというものである。
春先に成るとこのような祈祷が増えてくる。
直ぐにお宮のほうに来てくださいと告げると、母と娘がやって来た。
話を聞くと、この娘さんは動物が大好きで、今動物病院に勤めているという。
そこで見る光景は、動物の病気の治療や避妊手術などと共に、安楽死などがあるらしい。
彼女が帰ってきて、動物病院のその光景を母に時折語っていたという。
疲れたときなど、どの子も母に言うように「肩がこる、頭が痛い」と、言うと母は「動物の霊が乗り移ってるんじゃない」とか何気なく娘に言っていたらしい。
その内その子も本当に動物の霊が乗り移ったようになり、追い討ちを掛けるように、テレビなどの霊がどうだ、祟(たた)りがどうだという番組を見て、私にも動物の霊が乗り移ったのではと思ってしまったようである。
悩みだしている内に、本当に夜中寝ていて金縛りにあったという。
言葉とは本当に怖い。
知らず知らずのうちに、母が我が子を洗脳してしまったのであろう。
このようなことは本当に多い。
いじめもそのよい例である。
いじめようと思わなくても、今まで親しい友人だと思っていた人から「あんた、くさいわ」というような差別言葉を言われると、言った本人はチョッとした冗談でも言われた本人のショックは大変なものである。
そうして、一人で悩み神経的に病んでいくのである。

何気ない言葉が、相手に与える影響は計り知れないものがあるのである。

加持祈祷によって病気が治るなら医者は要らない。しかし、宗教行為によって病気を治す手助けは出来ると私は思っている。
今回のような精神的なことならなお更の事である。
マインドコントロールされたのならそれ以上にマインドコントロールして、正常な形に戻せばよいのである。
動物の霊など無いのだという事、ましてやそれに取り付かれるということなど無いのだという事を言ってやることである。
そうして、祈祷の後は神の大きな力に守られるということを、感じさせることが大切だと思っている。

宗教の中で直ぐに脅しにかかる宗教も困ったものだが、テレビでの霊や祟りのようなオカルト番組も困ったものだ。


3月4日(月)晴れ
春うららかとは今日のような天気を指すのでしょうね。
境内にはサクランボの花が咲きました。
例年より少し早いような気がします。

サクランボの花(桜桃)

又裏に葉には藪椿の花が綺麗に咲いています。

藪椿藪椿

「紅白の 椿に見たり 雛祭り」 
3月3日の桃の節句も終わりましたと云いたい所ですが、我が家では旧暦で祝うことにしています。
旧暦の桃の節句は、今年は4月15日(月)です。
雛祭りの掛け軸を出すことにしています。


3月2日(土)晴れのち曇り
暑さ寒さも彼岸まで。
よく言ったものだ。
今日は午前中大変よい天気だったのに、午後から曇り出して寒くなった。

春眠暁を覚えずなのか、今日は眠い。

いやいや違う。

昨日というより今日朝帰りをしていしまったのです。
昨日は東京から知り合いの姉妹(Aさん姉妹)が、宝塚少女歌劇を見るためにやって来た。
本場宝塚大劇場の公演は、東京の宝塚では味わえないものがあるとか。

その夜皆出会うことにする。
姉妹のお姉さんの知人で東京から転勤でただ今高槻市在住のIさん、そうして私の4人が大阪の心斎橋にて午後7時に集合。
そうして一路、鳥鹿に行く。
鳥鹿(とりしか)
日本橋1丁目にある、鳥料理専門店である。
以前にもこの店のことを紹介しましたが、この店には一度は行くことを進めます。
焼き鳥、鳥なべなどを食べた後は、親子どんぶりを食べてください。

そこで、Aさん姉妹の旧友K氏が来る。
よく食べよく喋ること数時間。
気が付けば私たち5人しか居ない。

次の店を探さんと店を出るが、このところ大阪南とご無沙汰していることもあり、何処に行こうか迷った末にジャズクラブのセントジェムスに行く。
この店には昔はよく来た。
最近来たのは数年前のこと。
恐る恐る店に入ると、マスターの田中さんが素晴らしいピアノを奏でている。

ジャズクラブ セント・ジェームス

美女三名はこのジャズ演奏に酔いしれ、ワイヤワイヤの喝采。
ここに連れて来た良かった、良かった。
最終演奏の時は、われら4名(K氏は明日忙しいとのことで途中帰る)のみとなって、貸しきり状態。

美女3名の後姿

St.James

さて帰ろうとした時、I嬢が何か食べようと言い出す。
ジャズクラブで食べるより、外で何か美味しいものをと言ったものの、さて何にするかと思案しきり。
そうだ、酔い覚めに朝鮮冷麺なんぞは、というと皆様もそれが言いと、これまた大阪一美味しい朝鮮冷麺を出す店、白龍へと行く。
この店は今は閉ざした浪花座の裏にある焼肉の店。焼肉のたれは味噌だれ。これが又美味しい。
ただ、せっかちな人は、冷麺を頼まないこと。
大変時間がかかる。なんたって、注文を受けてから粉から麺を打つ。
冷麺待つ間に、焼肉を食べるということになる訳。
待つ甲斐あって、美味しい冷麺にめぐり合うという事になる。

幸せという顔満足顔

だけど家にたどり着いたのは、午前3時。
本当に良かったのかな。
Aさん、次は旦那も一緒に来てください。
Iさん次回はご一緒に、今日は一緒に来ると思っていましたのに、東京出張では仕方がないですね。

もし、このコースご希望の方はどうぞ勝手に言ってください。
この三軒お店でひょっとすれば会うかもしれませんね。
その時は声を掛けてくださいよ。