黐木舎


平成13年(2001年)
8月






8月28日(火)晴れ
パソコンのインターネットをいじくっていて何時も思うのだが、この画面の向こうにはどれだけの人々が居るのだろうか、どの様な世界があるのだろうかと。
布忍神社のホームページを開設したのは1997年の6月だった。
4年が早くも過ぎたのかと思う。
この向こうには「何が」あるのだろう。と思っていたのが、最近では「何かが」あると思うようになった。
不思議な世界である。
少しは私にも英語力も付いたろうか。
いじりの好きな方の私は、以外と早くからコンピューターをいじくっていたが、今のこの技術進歩の早さには着いていけないと云う感じで一杯です。
未だに5年前購入のコンピュターを未だに使っているのです。
ハードディスクなどの増設など諸々を考えれば、新しく買った方が安上がりのような気もしないでもないのですが。
最近周辺機器に対応しなくなってきたので困っています。

布忍神社のホームページを閲覧してくだっさている人々に対しお礼申し上げます。
そうして今後とも宜しく。
何かご意見有ればメール下さい。


8月27日(月)晴れ
生命とは凄いものだと今日つくづくと知らされた。
何もなく生きているときは、何とも思わない生命も、こと生き死にが関わるとなんと摩訶不思議なものだと思わずには居られない。
心臓って電気信号によって脈打ち動いているという。
その為のエネルギーである電気は何処にあるのだろう。
この電気信号が何らかの状況で狂うと、不整脈が起こるらしい。
今の医学ではこの様になった人の治療に、ペースメーカーが胸に埋め込まれ、人工的に電気信号を送り心臓を動かす。
電池は10年ぐらい保つという。
医者の話しでは、この様な人は沢山居るという。
此のペースメーカーが開発される前では、死を待つしかなかったであろう。
この様な医療を受けられる日本も凄いと思った。
平均寿命世界一。頷けるような気がする。
医療技術があったとしても、この医療を何処でも誰でも受けられる体制が日本にはある。
しかしこの様な国も世界的に見れば、数少ないことであろう。
しかし、最近の日本には、生命の尊さ軽んじている傾向がある。
何故なんだろう。
生きるということが当たり前になっているからか。
1ヶ月前九州で漁に出航し遭難にあった小型漁船の漁師が、1ヶ月ぶりに銚子の東の海上で無事救助された嬉しさのは反対に、東京では警察官が、刃物を持った暴徒に刺され死亡、犯人も警察官の拳銃によって射殺されるという悲しい事件が起こった。
私の周辺においても、私の極々近しい人が今日、心臓にペ−スメーカーを入れることで一命を取り留めた。
この人は日々布忍神社に尽くしてきた人である。
神がもう少しの間、この人に命を授けたのであろう。


8月24日(金)晴れ
自転車台風。
ゆっくりゆっくり日本を横切って行ってしまった後の暑さ。これ格別。
もうすぐ夏休みも終わり。と云うことは8月が終わり。と云うことは来年のお正月まであと4ヶ月。
月日の経つのは、本当に早いよね。
今年になって何をしたか。
絵馬の総展覧会を近鉄百貨店で開催してから、新しいことを何もしていない。
神社の行事を淡々とこなしています。
この事は大変難しい。
淡々とこなすことは、重要なことだと最近やった気付いた。
皆さんもやってみれば如何ですか。
難しいで〜〜〜。
ちょっとでも気を許すと淡々とは出来ない。

9月に入ると、23日は戦没者の慰霊祭並びに平和祈願祭。10月1日観月祭。15日は秋季例大祭。27日はフリ−マーケット。11月は七五三詣りの祈祷であきくれて、12月の師走。そうして平成14年のお正月。
今年の計画でやり残していること無いですか?今の内ならまだ間に合うかも。


8月16日(木)晴れ時々曇り
日本人の宗教観として「もの(人間も含め総て)」が死すると総て神となると云う概念があります。
ですから、総ての「もの」に神を見いだすのだと思います。
古代から近世まで私達日本人は諸々の神を信じ、又伝来した他の宗教も一つの神として、融合仕合ながら共存してきたのだと思います。
人間が死んだとしても同じです。善人であれ悪人であれ、死んでしまえば総て神となります。
西洋社会ではそうとは行きません。自分たちに逆らったものは何千年経ようが許すことはしません。
墓を暴いて引きずり出してでも罰します。
そうして民族そのものを抹殺してしまうことすら行ってきました。
旧ユーゴの問題、パレスチナ問題などはまさにその問題だといえるでしょう。
日本の場合は祓いと云う形式で許してしまうのです。
私はこの日本人の後世にいがみ合うことを持ち越さない、現世のことを祓い無くしてしまう概念は素晴らしいものだと思います。
しかし、これは日本国内での話しであり、外国に通じる話ではないでしょうし、日本のこの様な文化や宗教観は、他国には理解出来ない問題でしょう。又この様な考えは一方には問題をあやふやにしてしまい、なおざりにする欠点をも持ち添えています。
だからといって日本のこの様な文化を、自ら自らの文化を捨ててしまうことになり由々しいことです。
地球上において幾多の宗教が現存するのにも関わらず、幾つかの宗教は一つの神しか認めようとしません。
そうして宗教の名の下に醜い争いを繰り返しているのです。
世界の人達が、同じ目線にたってお互いを認めあい、許すという行為が出来たならもっと良い世界になると私は思っています。

ホームページ紹介
http://www.relnet.co.jp/
レルネットの主幹の主観を一読下さい。


8月12日(日)晴れ後曇り一時雨
今日、夕方子供達と墓参りに行こうと思ったとき、空が一転にわかにかき雲り、雷鳴と共に雨が降ってきた。
何日ぶりの雨。
しかし、思い存分降るということはなく、直ぐに止む。
もう少し降れよ。と、思いながら羨ましく空を見ると、西の雲の切れ間には、夕焼け色した太陽がちょっこっと見えていた。
急いで墓に行くと、沢山の人が雨の止むのを待っていたのだろう、いっせいにお墓にやって来たようだ。
お盆以外では会えない人が沢山に来ていて、挨拶をすることしきり。
「あぁ、今日は。もう少し雨降れば良かったのにね」とか、「えぇ〜、久しぶり帰ってるの。一度お宮へ遊びにおいでよ」とか。
だけど、お参りに来ている私達の同年輩はもう既に息子・娘や孫などを連れ居る。
そう言えばこの墓地の住人になってしまった友人も何人か居ることを思い出した。
自分も刻々と老いて行ってることには間違いないわけで、時間は止めることも、遅らすことも出来ない。
だからこそ、今を大切に生きていたい。


8月9日(木)晴れ
昨日はこの所大変お世話になっているK神社宮司さんとその内儀と食事会をすることになっていました。
久しぶりに大阪は南に出る機会に昼過ぎから「ワクワク」。
私は南の快楽街(?)に飲み行く時は自転車でときめている理由は、
一に、帰り遅くなっても気楽に飲んでいることが出来る。
一に、飲酒運転で警察にとがめられることはない。(本当は自転車でも飲酒運転だが)
一に、行き帰りの道中、色々と発見がある。
だから敢えて私は45分掛けて自転車で大阪の南まで行くことにしている。
「少し遅くなりましたが、今から行きます」とK神社に電話をすると、内儀が出て「何処かわかりやすいところに出ておきましょうか」と返事。
「いいえ、神社まで行きますので」と云って一目散に自転車を走らした。
しかし、午後6時前はまだ暑さは盛り、日陰を探してひたすら自転車を走らす。
皆さんは自転車でなんて大変でしょうとか、暑いでしょうとか、気を遣ってくれるが、走っていると者にとっては、ほど良い汗が出て、その汗が風に当たり気化熱で意外と体は涼しく感じる。
只、大阪の場合上町台地を上がらなければならない。これは辛いです。
大阪南に出るには、この上町台地を越えなければならい。
そうして、K神社はこの上町台地の西斜面にある。
坂を上り、上本町から谷町へ。そうして、K神社へ。
私が自転車で来たことに宮司と奥さんは驚き、私は自転車の効能を説き、ワイワイガヤガヤ。
3人で千日前の「いづも」なる串焼きの店に行く。
「いづも」
この店とは20年来の付き合い。
私は世界一小さなフルコースの食事が出来て飲める店と紹介しています。
食事代も手頃。
宮司夫婦には、大変喜んでくださいました。
次ぎに三ツ寺の飲み屋「玄妙庵」に。
ここは、私もK宮司の奥さんとも偶然縁の深い店。
縁とは不思議なものです。
K宮司、内儀と、この店の常連客の大串さん(布忍神社にて「イチハラヒロコ恋みくじ」関わり結婚、今は一男のパパさん)と相交え杯を傾けあいも楽しからずや。
楽しい時間は本当に経つのが早い。
大串さんも帰り、宮司と奥さんはもう遅くなったので帰るという時、不思議なことが。
ふらっと一人の若い女性が入ってきた。
何処かで見たことのある女性。
「ミジュさん」ではないかいな。
彼女とは布忍神社の「イチハラヒロコ恋みくじ」で関わっている。まさか彼女が現れるとは。
彼女曰く「この店にイチハラヒロコの作品があると宮司さんに聞いていたもので、始めて来ると宮司さんがいて驚きました」とのこと。
そうして、何よりの驚きは彼との結婚も決まったとのこと。
「良かった良かった」と、K宮司夫婦も交えて四人で又飲み直す。
K宮司と奥様は帰って後も、二人で飲みながら結婚の話を聞いた。
「ミジュさん、本当におめでとう」
その後、玄妙庵のマスターと三人でイチハラヒロコの作品をバックに写真を撮る。
この写真ちょっと呆けています
K宮司の奥さんと玄妙庵の今は亡きままとの出会い。そうして私とK宮司と奥さんの出会い。ミジュさんとの玄妙庵での出会い。
縁とは、出会いとは、不思議なものです。
縁も出会いも大切にしなければ、これからも皆様宜しく。
私昨日本当に酔っぱらいました。


8月3日(金)晴れ
70歳過ぎの男の人が、境内の藤棚の木陰の下で何かを食べていた。
よく見ると、ワラビ餅である。
何処かのコンビニで買ってきたものだろう。
黄粉にまぶされたワラビ餅を食べる姿は、まるで童心そのものである。
横を見るとビールの缶。
何という取り合わせ。
まあ良いかと、側を通り過ぎる。
用事を済ませ帰ってくると、もうそこには老人お姿が見えない。
なのになんと、ビールの空き缶とビニール袋がほったらかしたまま・・・。
こりゃなんと。
お宮の出口を見るとその男人は、出ていく寸前ではないか。
つい大きな声で「オオーーイ。そこのオッサン。またんかい」と呼ぶと振り向いたので空き缶とビニール袋持って一目散に走る。
「今あそこで、あんたものを食べてはったやろ」「食べた後のゴミは持って帰らんかいな」
オッサン曰く「ワシ食べてないで」
「あほんだら、口の回りに黄粉付いてるがな」「うそつきな」「これ持って帰り」と渡すと、渋々手に取った。
お宮の入り口に置いていた自転車の前かごに入れて走っていった。

以前境内にゴミ箱を3ヶ所ほど置いたことがある。
お宮のゴミを入れるつもりが、外からゴミを持ってきて捨てるわ、犬の散歩の糞を捨てる。
挙げ句の果ては家庭の生ゴミまで捨てに来る。
3日で一杯になる。
これには参って、ゴミ箱を撤去した。
そうして、境内で飲食している人を見かけると「ゴミは持って帰って下さい。ここは公園ではないので基本的には飲食は禁止していますので」
と、声を掛けに行く。
これでずいぶんゴミをする人はなくなったが、つい誰も見てないとゴミを置き去りにしていく人が多い。
本当に困ったものだ。


8月2日(木)晴れ
お宮の境内では蝉が、うるさいくらい鳴いている。
小学生の低学年以下の子供らが、せっせと蝉取りに励んでいる。
蝉かごを見ると、中にはクマゼミがうようよと居る。
高学年の子供達は何処に行ったんだろうか。
アブラゼミやニィニィゼミは何処に行ったんだろうか。
私達の幼い頃、蝉のふ化する順番が決まっていた。
始めに、小型のニィニィゼミ次ぎにアブラゼミ、そうして大型のクマゼミ、夏の終わりにはツクツクボウシ。
クマゼミやツクツクボウシを捕獲すると、その日は英雄気分になったものだ。
それが今では、クマゼミ以外滅多に見ることが出来ない。
蝉を捕るに蝉の習性を知る必要がある。
朝早く来ると蝉は木の下にいる。又、日陰にいるので、太陽と反対の場所を探す。
正午頃、蝉が一声に泣きやむので、見付けにくい。
男の子とを知ると蝉は捕まえやすい。
しかし、こんなこと知ってる子供達は今居るのかな。
蝉は土の中に幼虫として数年居るが、地中から出てふ化し成虫となって数日しか生きられない。
アブラゼミとニィニィゼミの鳴き声を聞くことがなくなって、もう10年ぐらい過ぎる。
アブラゼミとニィニィゼミは何処に行ったのだろうか。
幼虫は土の中にいるのだろうか。
もしかして、もう都会では聞く事が出来ないのかも。