黐木舎


平成13年(2001年)
3月






29日(木)曇り
今日は朝から肌寒い。
境内の桜は8分咲き。
境内には沢山の木がある。しかし、昔から比べると、大変少なくなった。
常用樹では、楠木・黐(もち)・椿・榊・小賀玉、広葉樹では椋・榎・銀杏等他色々と有るが100年以上経っている木といえばこれ位だろうか。
300年余り前に描かれた「布忍神社八景」の絵馬には、布忍神社の風景も描かれていて、そこには桜と共に松の木も多く描かれているが、今それらの木は無い。今ある桜はもっと後に植えられたものだし、松に至っては全くない。
時代の変貌によって、環境の変化によって変わったのであろう。
今の季節、広葉樹は一声に新芽が開き、広葉樹は古い葉を落とす。
この時期お参りした人は、楠木の葉落ちて屋根に当たる音を聞き雨が降ってきたと勘違いする人が多い。
朝昼夕方と境内を掃いても、風が吹くと元のもくあみと言った状態である。
この時楠木の枝には新芽が出て一節伸ばし、よく見ないと分からないぐらいの小さな白い花を咲かせるのである。
広葉樹の木々では、昨年の秋に落とした葉の後には新芽を作ってはいるものの、冬を過ごすために堅く殻に閉じこもり息をひそめていたのが、春の暖かさ日照時間の多さに、この殻をいっせいに脱ぎ捨て、新芽が開くと共に花を付ける。
春になって新芽を付けるのではなく、冬を迎える前に次の成長の用意をしているのだ。
四季ある日本の木々はこの事の繰り返しであるが、これは地球上総てではなく、四季ある所のみであり、熱帯雨林等では又異なった木々の生長が見られるのであるが形を変え成長している。
しかし、私の知っている半世紀の間でも境内の環境が変わり、樹木の分布さえも変わったように、大変この状況は壊れやすい。
人間がこの環境を壊していると言ってよいだろう。

何処かの国が石仏を宗教的異議を唱えて破壊した。これを国際社会は非難している。
18世紀にも宗教のなのもと他宗教を邪教と称して西洋の宗教の押しつけをした行為はどうなのか。
教義教典を持つことが宗教としての条件とされているが、この教義教典のために人は救われる共に、人を破壊してきた。
しかし、自然はこの事には関わりなく永々と営み続けてきたのである。
破壊こそ創造であるという人もいるが、これは人間至上主義的発想に他ならない。
この自然に神の存在を認め、恐れおののき、神=自然を知ることがこれから必要になるでは。
そうして、人間が自然と共存して今後生きていくすべではないか。
「破壊こそ創造」は過去の遺物であり、今破壊がおこなわれれば二度と立ち直る事の出来ない破壊へとつながり、総ての滅亡につながるように思う。
そこには創造すらする余地はない。


26日(月)曇りのち晴れ
昨日元気に会った人と、二度と会えなくなることがある。
これが現代社会というものだろうか。
日本人は裕福になった。
小中学生までもが、携帯電話を持つ時代である。
誰しもが自家用車を運転し、家族一人ずつ車を所有する家も少なくない。
お金持ちは、レジャーにヨット・クルーザーを持ち、自家用飛行機を持つ人まで居る。
いつ何時これらのものが、事故と遭遇するか分からない。
お宮に交通安全の祈祷に来た人、お守りを授与した人に、お守りを持ったから事故に遭わないと言うのではない。
お守りを持つことによって、神の加護を受けることは言うまでもないが、安全を守るという最低条件の神との契約を、日々思い出す事の必要性が大切なんだと、お宮に来た人に話すことにしている。
そうすることによって、大難が小難になるのである。
出来るなら交通安全の御祈祷なんて、おこないたくないと言うのが私の本音である。
何もなくて当たり前なんだから。
だからこそ、交通安全の御祈祷に来た人には、ホカの御祈祷以上に丁寧に行い(総ての御祈祷は丁寧にする)、敢えてくどくどと言ってしまうのである。
次ぎに御祈祷に来たとき、今まで何もなかったことを聞いたとき、内心ホッとする。
私の知り合いの人が、レジャー用の飛行機を買った。
交通安全の御祈祷をすればと言ったが、彼はそんなことをする必要はないと云った。
飛行機は車より安全性がよい、ましてやコンピューター搭載の近代的なものに、非近代的な御祈祷なんて。と、いって取り合わなかった。
近代的ならばこそ必要なんだと云ったが、私もそれ以上ひつこく言わなかった。
昨日彼は帰らぬ人になってしまった。
惜しい人を亡くしてしまった。
もう二度と会うことは出来ない。
土曜日に会って楽しく話したのに・・・。


21日(水)晴れ
昨日は神社の末社である末廣稲荷社のお祭りでした。
祭典・皆さんの願いのこもったゴマ木の炊き上げ・湯上げ神楽等の行事をこなし、参拝者や子供にお下がり(大人にはあぶらげ・お子さまにはお菓子)を渡しました。
沢山の人達が参拝していただき誠に有り難う御座います。
皆様の願いが神様達に届いたでしょう。

末廣稲荷祭り 神楽
玉串奉奠 ごま木炊き上げ
湯神楽 湯神楽

お稲荷さんて何の神様?お稲荷さんは狐さんとか?と、良く聞かれます。
稲荷大神は宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)の信仰で五穀をはじめ総ての食物や蚕桑の事をつかさどる神様で、そのご神像が稲を荷っているところか稲荷大神といわれています。
稲荷神の使いは狐というのは、ウカノミタマノカミの別名が御饌津神(ミケツカミ)と言い狐の古名のケツと音から三狐神(ミケツカミ)を当てたところから来たといわれています。
一粒のお米から幾多の黄金なす稲穂を付けるところから、本来農耕神であった稲荷の神格が商工業の神に発展したといわれています。
皆さん五円玉に日本国と書かれた横に二つの若葉が彫られています。
一方の片面には、農業の象徴の稲穂と、中の丸い穴の回りに工業の象徴の歯車が浮き彫りにしてあるのを知っていますか。
一粒のお米が、沢山のお米を生むように、お金に「ご縁」があれという稲荷信仰から来たデザインなんです。
今の日本に足りないのは、昔から続いている信仰と感謝の念かも知れません。


19日(月)晴れ
今日は久しぶりの良い天気。
春は刻々とやって来ています。
境内の薮椿は紅白の花を満々と付け、この蜜を吸う野鳥が飛び交っています。
先日まで芽の膨らんでいた木蓮の花芽の、昨日今日のこの暖かい天気にで花が咲き始めました。
又、3年前植えた桜桃(サクランボ)の花も可憐花を咲かせています。

モクレン 桜桃

先日お宮参りに来た玉城さんが奈央ちゃんを連れて丹波からやって来ました。
奈央ちゃんの足形を見にやって来てくれました。
お祖父ちゃんお祖母さんは近くに住んでいるので、直ぐに見ることが出来たけれど、奈央ちゃんのお父さんお母さんは丹波なので直ぐには来れなかったものね。
今日はよい天気、昨日から実家に帰ってきたそうです。
昨日は奈央ちゃんを実家に預けて、二人で仲良く外に買い物に行ったそうです。
仲の良い二人。素晴らしい家族です。
またこちらに来た折り寄って下さい。
お父さん車気を付けて下さい。(奈央ちゃんお母さんからのお願い)

玉城さんの家族

明日は末廣稲荷のお祭りです。
明日のお祭りの支度今から頑張りましょう。
一年は早いですね。


6日(火)晴れ
 このところの天気は訳が分からない。
 冬に逆戻ったかと思えば、又春のような暖かい天気。
 お宮の回りを見ると、春は確実に近付いているようだ。
 木々の花芽はふくらみ、寒椿は満開である。
 しかし、
 何処かで何か歯車が狂いだしているようだ。
 ある国では、世界の文化遺産とも言える世界最大の石像仏をロケット弾で破壊している。
 征服者による被征服者の文化の破壊は今に始まったことではない。
 歴史が始まって以来その事の繰り返しである。
 人間だけが繰り返す、おぞましい姿である。
 人間とは、自分の考えを他人に押しつけたがる不思議な動物である。
 やがて自らが自らの破壊を招くのではないだろうか。