黐木舎


平成12年(2000年)
9月






9月22日(金)晴れのち曇り時々雨
明日は彼岸の中日であり秋分です。
明日から夜の方が昼より長くなるのですね。
暑さ寒さも彼岸までと言いますが、本当に涼しくなるのだろうか。
夕方境内の隅に彼岸花が咲いているのを見つけました。
毎年同じ所に咲きます。
寒い冬であろうが、暑い夏であろうが、彼岸になると彼岸花が咲きます。
何故彼岸に咲くのでしょうか。不思議です。


9月19日(火)晴れ
この時期どうしようもない嫌な気分になることがある。
日めくりのカレンダーの枚数がいつの間にか薄くなっている。
何時の間にこんなに捲ったのだろうか。
残り3ヶ月と10日余りで2000年、20世紀も終わりである。

私は少し鬱っぽくなっていた昨日に、Uさんと久しぶりに会った。
今年の正月にお参りに来て下さったのに何故か会うことは出来なかった。
Uさんとの出会いは15年余り前、厄よけのご祈祷に来られた時だったと思う。
彼には両足がない。しかし、その様なことをみじんも見せない明るい人である。
車の運転を健常者以上に上手にこなし、義足を付けて杖もなく歩かれる。
自分が両足のない障害者だとあっけらかんと云ってしまうが、障害者だという特権を振りかざしもしない。
障害者の車に張り付けてある駐車禁止地区でもとまれるカードを、彼の車に見たこともない。
私は仁徳天皇陵の近くに住んでいるNさんの所に行こうと支度している丁度その時に、Uさんから電話があった。
「宮司さん、今の会社の建物が狭くなりましてどうしようもないので新しい工場兼事務所を近所に借りましたんや。10月の始めにお祓いしてくれますか」
いつものように本当に明るい声である。
「私は丁度堺に用事があるので会社に寄ります。新しい社屋も見たいので」と云って堺に車を走らせた。
今の会社に行くと本当に商品で一杯である。
彼は新しい社屋に案内するから、自分の車に乗れという。
健常者が障害者の車に乗る。
私は彼の車の中で、前からこのUさんに聞きたかった質問をぶつけた「何故布忍神社にお参りに来たんですか」と。
「そうでんな。車で走って何処かに良いお宮がないかと、内の奴と探してましてん。そうしたら布忍神社在ったと云うことですわ」
「ワシはこういう体ですやろ、皆さん勝手に気いつこてくれますねんけど、布忍神社は普通にしてくれましたからな」
「最初の日に特別扱いされたら、次には行きませんでしたやろな」
Uさんは、ぼそぼそと云う。
「ワシ重度の障害者ですが、やれば出来ると、この体が教えてくれましてん」
「今度の社屋大きいですやけど、このまま行ったら後3年で一杯ですわ」と云って大きく笑った。
「ワシと同じ位の会社があってでんな、競争したとしますやろ、相手はワシに仕事くれますねん。ワシの体が仕事取りますんや」
「せやけど商品は何処にも負けまへん」
「此の社屋、元は自転車の生産工場でしたんや。買おうと思ったんですけど売ってくれませんので借りることにしましてん。」
「会社も大きくなりました。お祓いしてもろて、初心忘れずですわ」
このUさんと話していると、福の神と話しているような気分になった。
五体満足な私が恥ずかしい。
Uさん、もっともっと大きく成って下さい。
私も頑張ります。


9月13日(水)晴れ時々曇り
観月祭に於ける芸能奉納を初めて、今年で第8回を迎える。
例年の事ではあるが、天気のことを数日目から大変気になる。
今年の9月12日の1週間前の天気予報は始めは曇り時々晴れ。ところが南の海上に14.15.16号の台風が発生した。
嫌な予感がする。これが的中。
なんと迷走した14号が日本に近付き前日には雨のち曇りの天気予報。
そうして名古屋方面に集中豪雨の為河川の堤防決壊、新幹線は普通となる。
12日は朝から大変な雨。
野外の石舞台での観月祭をあきらめ、拝殿内でする事とする。
過去7回の観月祭で晴れは4回雨が3回これで4:4の五分五分となる。
雨。
まあこれも自然の仕業か。
余りにも人間が地球を汚す事への月の神さんの私達への警告。
1年に一度しか詣でることをしない為に月読の大神ははにかんだのか。
ジャズ奉納は拝殿にて執り行うことになる。
本当は音を鳴らすのなら野外より拝殿の方が音響は数段上なんです。
どうも演奏者の森英紀さんのテナー・ソプラノサックス、八木隆幸さんのピヤノ、荒玉哲郎のベース、北岡進さんのドラムの音色が月に届いたのか、演奏を始めると雲が途切れ月が顔を出す。

雨のために足元が悪かったのに沢山お方が来て下さいました。
小さい子供も来て下さいました。

この中からジャズの名プレイヤーが出るかも。
皆様参拝有り難う御座います。
そうして日頃より神社に協力して頂き有り難う御座います。
何時も音楽の時には音響設備を担当していただいてる横田一彦さん有り難う御座います。


9月7日(木)晴れ
今日は旧暦で云うと8月10日 白露(24節気の一つ)である。昨日の夜綺麗な上弦の月が夜空に浮かんでいた。
本当に後5日で満月になるのだろうかとふと不安になると共に、この暑さは何時になれば終わるのであろうかとも思った。
地球温暖化は確実に進んでいるという。
人間が自然の中の一片で他ならないのに、その事を忘れあたかも自然を地球全体を支配しているように思っている酬いが、近付いているように思えて成らない。
日本の現代人にとって、一年の内でどれだけ夜空を見るだろうか。
見たとしても数日であろう。
都会に住む人間なんぞは、皆無と言っても良いのではないか。
西暦を基本とした、つい数十年前まで日本人は、月を見て生活をしていた。
農耕民族として月を見て生活をすることは、自然なことであったはずである。
農民だけではなく、漁民も月を見て潮の満ち引きを見て生活をしていた。
陰暦に於いては、朔日(一日)は新月であり15日は満月と決まっていたのである。
そこには、西暦で云う七曜の月曜もなければ日曜もなく六曜が有った。
六曜とは、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口である。
旧暦1月は先勝から始まり2月は友引から始まる。そうして半年過ぎて7月は又先勝から始まると云うようになるのである。
だから日にちと六曜とは変わることのない組み合わせなのである。
8月は友引から始まり15日は仏滅となる訳である。
仏滅が悪い日だとすれば、仲秋の名月の日は何時も悪い日となってします。そんな馬鹿なことがない。4月1日や10月1日などは、仏滅から始まってしまうわけで縁起でもないことになる。
大安は良き日で仏滅は悪い日なんてものは何の根拠もないことを知ってもらいたい。
陰暦に於いてこの六曜も今の七曜のように余り重要視していなかったようである。
何故なら西洋のキリスト教社会のように休息日的な考えがない。
日曜日は神にお参りに教会に行く日であり、仕事をしては成らないと云う考えはないからである。
旧暦の良さである24節気に見られる自然の季節の移り変わりに準じた部分は忘れ去られ、悪しき風習のみが残っているのには腹ただしさが感じられてしまうのである。
神事をすることの大切さを忘れても、大安だ仏滅だと騒いでいる。
家を建てるのに始めるのは大安の日に、棟上げも大安の日に、家移りも大安の日に・・・・。
そのくせ地鎮祭はお金が要るからと辞めてしまう。
そうして日本文化が無くなったという。
本当に日本人の日本人的思考は何処へ行ったのであろうか。
因みに地鎮祭はそんなにお金は要りませんよ。


9月4日(月)晴れ
久しぶりに熱帯夜で無かったからか、よく眠れた。
頭が痒い、つい8針縫ってあることを忘れて掻きたくなる。
もし掻いて縫い目がほじけると大変だ。
しかし、合わせ鏡で見て凄いと思う。
畑山先生有り難う御座います。元のような頭になりました。
下肢静脈瘤も無くなりました。
下肢静脈瘤でお悩みの方は相談してください。

まだ糸の残る頭ですが。白髪が多くなったな。このまま坊主で居ようかな。
それより鴨居に頭をぶっつけないようにしよう。
傷口が開くと大変。


9月2日(土)晴れ時々曇り
欲望が作るものの1つに「神々」がある。
私達は欲望を満たそうと努力する。と云うことは、今現在は欲望が満たされていないと云うことだ。
ある人間が、金持ちになりたいと思うと言う事はこの人間は現状には満足していないと云うことである。
そうして、金持ちになるように努力をする。やがて、努力を怠ると貧乏になる。
何時でも貧乏に戻ることは出来ても、何時でも金持ちになることは出来ない。
そこで私達は幸せに・金持ちに等々の欲望を満たすために「神」に祈る。
福とは貧の上に乗っている浮き草のようなもの、手の表裏のようなもの。
「神々」に祈り感謝している間は、福は何時も側にいるが、傲慢の末に祈り感謝を忘れると福は去り貧となる。
皆様方、気を付けて下さいよ。


9月1日(金)曇りのち晴れ一時雨
私は今何を感じているのだろうか。
自分というものの存在を自分自身感じているのだろうか。
他のものとの対比によって感じる自分の存在は、虚像であると共に実像となす永遠の繰り返しではないかと思うのです。
他のものを私達は私達同等のものと考えがちですが、それは小さな考えに他無く、他のものとはもっと許容範囲の大きなものと考えなければなりません。
私達は余りにも傲慢になりました。
文明の発展と共に有りとあらゆる実像を作り出し、論理という刃によってあらゆるものを切り捨てたようです。
この切り捨てられた一つ一つのパズルを組み合わせ再生しなければ、私達の存在は無くなるのではなないかと思います。
まさに「欲望といえる神々」の復活に他ならないのです。