黐木舎


平成12年(2000年)
3月






3月11日(土)曇り
春となっても何時までも寒い日が続く。
今年の1月は比較的暖かい日が続いたのだが、2月に入って寒波到来という感じである。
しかし、寒波といっても外の手洗い鉢の水が凍るわけでもない。
私達が幼い頃なんて云うと大変歳取って聞こえるが、35年以前、私が中学生以前は手水舎の水は凍り付いていた。
川も池も凍り付いていた。
池の辺では、氷の厚みが10数センチにもなり、私達を乗せてもびくともしなかった記憶がある。
真竹をを半分に割り、長靴の裏に括り付けてスケートもどきにして池で遊んでいて、身の知らない大人の人にこっぴどく叱られたこともある。
又尻餅を付いて氷が割れ冬の池にはまり、病院に担ぎ込まれた友人もいる。
あの時の気温の方が今より数度低いように思う。
又、家でも何処でも暖房設備など無い。家では火鉢があるだけそれでも余り寒いと思わなかった。
皆がそうであった。
私達子供は手足にはしもやけ青ばなを垂れ、家事をする母親の手はひび割れている。
子供達の母を思う気持ちは、深いものがあった。
今は暖房によって何時も暖かい部屋。
都会のビルのオフィスでは真冬といっても初夏のような気温。
「そりゃおかしくなる。気温もだけど、人間の感じる耐寒温度も狂ってくるよ。」と、つい云ってしまう。
一度贅沢した体は貧には耐えられない。
このまま行くと何時か神様から罰を与えられるだろう。
その時何人の人間としてではなく、あえて考えるが何人の日本人が耐えられるだろうか。