黐木舎


平成11年
11月






11月30日(火)晴
今日23日に結婚式をした大串真徳氏・赤木範子氏のスナップ写真が、信太の白うさぎ(山千代多賀子)姉御から送られてきました。
大串真徳・範子結婚式 三三九度の杯 指輪の交換
神妙な顔つきの二人です。末永く幸せに。
質素な中にも、厳粛に結婚式が出来ました。


11月28日(日)曇りのち晴れ
朝から七五三詣りが続く。
20年前を思い出すと七五三詣りの参拝数は半分になった。
あの頃は、七五三詣りといっても、15日を中心に1週間で500余りの参拝があったわけだから、その混雑ぶりは大変なものでした。
それが今では、11月中だらだらと来る。しかし、本当に可愛い。

その様な中、1人の老人がお礼にやってきた。
1ヶ月前から、毎日欠かさずにお百度詣りをしている老人である。
「今日で30日となりました」「有り難う御座いました」とのことである。
この老人がお百度詣りを初めて今日で30日になるのかと感無量になった。
暑かった日、雨の日、風の日、寒くなった日、毎日欠かすことがなかったのを覚えている。

始め来られたとき、お百度詣りをするのに、どうすれば良いのか私に聞かれたのを覚えている。
「1円硬貨を10枚持ってきなさい。そうして、一度まいる度に、1円ずつ賽銭箱に入れなさい」と言った覚えがある。
百度参りとは、参道にある百度石と神前を百度往復をしながら、お詣りをする昔ながらの参拝方法である。
何か心に誓った事が成就するように願いお詣りするのであるが、簡単なように見えて体力的にきつい行である。

そうか、この老人は30日間よくぞ、この行を行われたと思った。
始めの頃、歩く動作も弱々しく、顔つきも悪かったのが、最近では足腰も鍛えられたのか、しっかりとした歩行、色つやも良くなった顔。
私は、一心にお参りする姿を見て、敢えてこの老人には声を掛けないようにしていた。
「良かったですね。元気になられて」
「私は定年を迎えて、急にゆっくりしたからでしょうか、体を悪くしまして」
「人生再出発の意味も含め、健康を取りもそうと、30日のお百度詣りを神様に誓いました」
「今こんなに元気に成ってきました。これを1つの区切りとして、お礼参りさせていただき。今後も機会ある度にお参りさせていただきたく思います」
「神様は利用されることを喜んで居られると思います。又お詣り下さい」と、云って別れた。
私は、今日この老人にあって、ちょと気分のいい日です。
1日100円のお賽銭、30日で3000円。これで健康になるわけです。
高いフィットネスに通うより、綺麗な空気、鳥の鳴き声、風の音を聞いて、お百度詣りしませんか。
願い事がかなって、健康になれば最高です。
お百度詣りの最後の参拝には、神の声が聞こえるともうします。


11月26日(金)曇り
今日は朝から冬らしく寒い日となった。
そんな中外で話していると、ひょこっと仲様が現れる。
「今日、澤畑君が小林様の社長の椅子を撮りに行きます」とのこと、
そこに見慣れた男が現れる劣性ウィングの小高さんと夛湖さん。
劣性ウィングさん達は24日にポーランドから帰ってきたばかりとか、彼等の作品がポーランドの芸術祭にノミネートされ招待を受けた。
その渡航において少しだけ協力したことがあって、わざわざ帰国の挨拶に来てくれたとか。
嬉しいばかりであります。それも手土産をもって。
これから先もっともっと、みんなが世界に羽ばたいて下さい。


11月25日(木)曇り
境内の紅葉がやっと色付きました。
今年は柿が豊作、裏庭の柿木には柿の実が沢山実りました。
神前にお供えしましたが、毎日柿も神様は嫌でしょう。
参拝者の方に持って帰って頂くことにしました。
見てくれは悪いのですが、美味しい柿なんです。
社務所の玄関先に置きましたところ、その下にタンポポの花が咲いているのに気が付きました。
今は、春なんでしょうか。秋ですよね。

 柿の実持って帰って下さい。あれ、タンポポが咲いてる。


11月22日(月)晴
広葉樹である木々の葉が黄色く色付き、境内に舞っている。
今年は例年になく暖かい。篠太鼓
朝から伊勢の獅子舞の笛と篠ばちで打たれる太鼓の音色が、何処ともなく聞こえてきた。
この音が聞かれと、本当に今年も終わりに近付いたのかと思われる。
獅子舞は、午後になって神社の方にもやってきた。獅子舞
例年神社の境内で獅子舞の奉納をやって下さる。
私達幼い時は子供と近所の人達で黒山の人集りになった。
昔、学校から帰ってきて獅子舞が来ていると、一日中近所の悪ガキと一緒に、獅子舞の後ろを歩き回ったものだ。獅子舞
しかし、今は誰1人として獅子舞の後ろを付いて回っている子供は見ない。

もうこの時間、学校は終わってると思うのだが。
若い村の娘と、獅子舞の若者の恋話を、婆さんからよく聞かされた。
今は、獅子舞の人の平均年齢は60歳を上舞っている。平均年齢は高い
この獅子舞も、何時か来なくなるときがあるのだろう。
淋しい限りである。
獅子舞獅子舞獅子舞


11月18日(金)晴
20世紀も後わずか。
情報が氾濫している。
日本では、世界の情報が瞬時で分かる。そうかと云って、総ての国・地域がそうだとは限らない。
私達は直ぐに、自分たちがそうだから、他の人達もそうだろうと安易に考える。
時間が止まったような国・地域がある事も忘れては成らない。
総てに関して多様化しているのも、一つに情報の流通があると思う。

昔、文化は谷の奥まったところに(此処より先には行けないところ)継承され残る。
しかし、そこに道が付き都会の文明に触れると文化は廃れ始め、谷の奥にトンネルでも出来れば、この村は通過点となり、文明は消え去る。
今は道が付かなくても、電波という形で何処でも情報が入ってくる。
文明が無くなることに危機感か生まれる。
その時の文化は、消えるかも知れないが、又新たな文化が生まれるのに、やがて我が民族はこうで在らねば成らない。と、云うような形になる。
民族の主体性は大切である。しかし、他の民族の主体性をも認めなければならない。
文化はゆっくりゆっくりと変化してきたのに、今日は急速に変化するわけで、危機感だけが先走るのである。
危機感が新たな文化の誕生を阻止するのである。
間違った民族主義は精神主義と化していく。
この精神主義に宗教が組み込まれては成らない。
国と宗教が、合体しては成らないことが歴史が教えている。
宗教は、あくまで独立しなければならないのである。
政教分離を守らなければならない。
しかし、今日これがいろいろな意味で破られている。
もうすぐ選挙になると、色々な宗教団体が走り出す。


11月17日(水)曇り
このところ七五三詣りで、何となく忙しい。
此処10年余り前から、11月中七五三詣りの祈祷者が来る。
以前は15日前後の1週間に祈祷が集中した。
色々な原因が考えられる。
1.大きなお宮が1ケ月間七五三詣りの受付をする。
2.写真屋・貸し衣装屋が15日前後は写真代・貸し衣装代が高く、早いか、遅くにかに申し込むと割り引くと宣伝したために、皆が早くしたり、遅くしたり。
皆様、忘れてません。
七五三詣りは子供の行く末の、健康、発展を願ってのご祈祷なんですよ。
親の見栄を見せ付けるためにするのではありません。
常着で良いのです。
子供が可愛いから、行く末を案じてのご祈祷。
親の見栄のご祈祷ではありません。
本来は毎年、誕生日に誕生日祭又は、寿祓いと云ってご祈祷をするのが大切。
それを、七五三詣りでも、男の子は五歳だけでよいとか、云う親が居る。
声を大きくして云います。
男の子は 三歳と五歳。
女の子は 三歳と七歳。
人間、目に見えない大きな力で守られているものです。
親の勝手でものを考えないように。
自分勝手な親にならないで。
どんな小さな子供でも、人権はあるのですから。
子供虐待は、余りにも残酷です。

もし、児童虐待に気が付いた方が在れば、早い目に児童相談所に行って下さい。
当神社の私に相談でも構いません。秘密は厳守します。


11月11日(木)曇り
今日は平成11年11月11日です。
位置がこれだけ列ぶと、目が変に成ります。
平成11年11月11日11時11分11秒に私はお宮参りのご祈祷をしました。
ご祈祷の前に家族と話していていると、横でビデオを撮っていた叔母さんが、「後3分で11分です」と言うのを聞いて、そうだ今日は平成11年11月11日だと思い出しました。
「それじゃ、ちょうど11分11秒からご祈祷しようか」と、言うことになり11分から家族皆さんが、カウントダウン。
11秒の声を聞いてご祈祷を始めたという次第です。
この子が大きくなったときどう思うのですかは知れません。しかし、ホームビデオに写り出される画像の横角にはその時の時報が入り、私の声と家族の声が入り、このビデオを見る度に、「僕のお宮参りの祈祷は平成11年11月11日11時11分11秒から始まった」なんて思うのでしょうね。
この子共にとって、この事が大きな糧となって、大きく成長してくれればと思います。
だからといって、ご祈祷に来る総ての赤ちゃんを分け隔てする訳ではありません。
お詣りする赤ちゃんの何かを見つけ、総てのに何か一言述べるようにする事に楽しみを見つける今日この頃です。


8日(月)晴一時曇り
今日は立冬。
即ち今日から暦上では冬と云うこと。
しかし例年より温かい日が続く。
異常気象。この言葉何故か毎年聞いているように思う。
先月、もちの木を地上から4メートル残して切ることになった。
このもちの木の異変に気が付いたのは、今から10年あまり前のことである。
常用樹林は、春葉っぱが落ちると共に新芽がでる。新芽が古い葉っぱを押しやるよう出ると云ってもいいかも知れない。
それが夏の暑いときに、このもちの木の葉っぱが散りだした。
それも、今までの様な大きさの葉ではなく、3分の1ぐらいの葉っぱである。
夏の太陽に焼けてかと思ったが、そうでは無さそうである。
変だ、何かが変だ、と思った。
もちの木だけではない。
桐の木、椿、榎木、小賀玉の木、楠木だけはふだんとは変わらないが、一直線上の木が見る見る弱っていく。
雨も降っていない、境内の井戸から水中ポンプで水を汲み上げて、これらの木に水をやろうと思って、井戸の蓋を上げて中を覗き込んで驚いた。
井戸に水がないのである。
この3年前から、お宮の東に流れる西除側の改修工事が行われ深さ巾が共に2倍から3倍になった。
コンクリートに護岸が固められ、川底も3分の2はコンクリートである。
後で分かったことだが、やはりこの河川の護岸工事の為に地下水の水道の変化によって、お宮の木々は枯れだしたのである。
木は地下水の変化で、水を充分に吸い上げることが出来ないために、自己防衛をする。その為に葉っぱを小さくして、水の蒸発を押さえる。
それでも足りなかった場合、枝を枯れさす。
何とけなげなことか。まるで意志を持った生物のようではないか。
しかし、急激な地中の変化に追いつくことが出来ない場合、枯れるしかないのである。
そこで、人工の手を加えなければならない。
枝の切断。木にとっては大手術である。だけどもいっきに切ることは出来ない。
徐々に切るしかない。
今回で4度目の切断になった。
幹の一番下部が大変な痛みようのため、専門家から何時倒れても不思議ではないと言う、変なお墨付きを貰ったからである。
もし倒れた場合大変な惨事に見舞われるだろう。人身事故にならないとは云えない。
総代との会議の結果一刻の猶予もないと言うことで切った。

人間。この動物は自分の利益のために、平気で自然を壊す。
壊していると意識はない。利害関係のためか。近代化のためか、文化向上のためか。
この為にどれだけの自然が犠牲になっていったか。その度に膨大な粗大ゴミを産んできた。
この「つけ」が私達の子孫へと受け継がれていく。
もう始まったのかも知れない。
2000年問題という形が事の始まりかも知れない。これが大きな「つけ」に成らなければいいが。
自然と切り離すことの出来ない神道が、この事についてもっともっと考えなければならない。
今回切った樹齢400年のもちの木の株を境内に展示している。
この株から自然の喘ぎが聞こえてくる。