黐木舎


平成11年
9月






21日(火)曇り時々雨
ぬのせ掲示板にしんとく氏から、初宮詣りの時に赤ちゃんの額に書く「大」「小」はどういう意味があるのかとお尋ねがありました。
私の勝手気儘な智恵の中からお答えします。
赤ちゃんが産まれて30日(みそか)を過ぎると、氏神に産まれた子供の行く末の成長を願いお詣りをするのが、初宮詣りであります。
男の子は30日、女の子は男の子に1日譲って31日。又、処によっては男女とも33日とも云ったりもします。
一ヶ月未満内に参るというのはないです。

昔お婆さんから聞いた話では、神功皇后が九州宇佐にて産気づき産みます。その赤子を岩の下に隠して三韓征伐に行きます。
やがて帰ってきた神功皇后は持っていた弓で岩をこじ開けて赤子を取り出します。この赤子が応神天応です。
だから初宮詣りのことを「ゆみあき」と云い、これが訛って「いみあき」と云うようになったと、教えられたことがあります。
産後の忌みが終わることを「忌み明け」「忌み明き」と称します。
赤子の忌み明けは30日です。
旧暦では1ヶ月が小の月で29日大の月では30日であることから考えますに、生まれた日の月と同じ月を迎えたときを期して、忌みが明いたといい、初宮詣りをするという習慣が出来たのではないかと思っています。
出生後いヶ月が一番危険な時期だといわれています。
母親の忌み明けは75日と云います。
産後母体が元の身体に戻るまでの期間だと思われます。ですから昔は、母親は初宮参りには参加しませんでした。
田舎ではまだその習慣が残っていて、母親が一緒に参拝することが少ないと思います。
これは、衛生状態も医学の進歩もない頃の昔の人が、赤子や出産後間もない母を守る知恵ではなかったかと思います。

私は生後30日が経ったら100日の食べ初めの時までに、お母様も一緒に皆様お詣りにおいでと云ってますがね。

因みに、
日本書紀では神宮皇后が産気づいて石(鎮懐石)を腰に当てて三韓征伐に行き帰ってから産むのですが、その日数を数えるに約45日です。
古事記では同じ様な事が書かれてありますが日程は計れません。

赤ちゃんが初宮詣りに来ますと、額に「大」なり「小」の文字を朱色で書いて来ます。
私は、お宮で書いて欲しいと云う人には書いてあげます。
しかし、書いて欲しいと云わない人には、こちらから書きましょかとは云いません。
訳があります。
男の子は「大」、女の子は「小」もそうですが、男の子は30日、女の子は1つ譲って31日と同じで、何かしら男尊女卑の影が見え隠れしている様で。もうそんなこと云ってる時代でもないのに。
これはそんなに古い風習ではないと思います。新暦が出来た明治以降ではないかと思われます。
儒教の影響もあるでしょう。

ヒンズー教の人の額に赤い粉を塗っているのを見たことがあると思うのですが、あれはケチャといいます。
あれはお米と赤い粉を混ぜたものを額に塗ります。ヒンズー教の寺院に行きますとあちらこちらの神像の額にまで塗られてあります。
又ビンヂィーという飾りものを付けたりします。
チベット仏教やヒンズー教などの神仏像には眉間に縦向けに目が書かれています。
これは第三の目と云います。
日本の仏像には水晶等がはめ込まれてあります。これを白毫(びゃくごう)と云いここから光明が放たれると云われています。
眉間には何があるのかと云いますと、医学的にはこの分部は、人間の急所に当たる部分で聴覚神経は集まっているそうです。
この部分を冷やすと聴覚が発達すると聞いたことがあります。
その様に古代の人は眉間が急所であると云うことを知っていたのでしょうかね。
ここを守るために、魔除けである朱色を塗ったのだと思われます。
何故朱色かと云いますと、この朱は丹と言います。
丹は酸化水銀のことで、昔は薬とされていました。ですから今でも薬の名前に丹が付く名前があります。
寺社建築の柱の朱色も丹です、古代の棺の内部に塗られたりもしています。丹は防腐防虫剤の役目として使われます。
これらのように額の急所に朱色を塗ることによって魔除けとしたのが、日本では子供の初宮詣りの風習の中に残ったのでしょう。
始めは眉間に朱色をただ塗るだけのものが、何時しか男は「大」女は「小」となったものと思います。
時折、女の赤ちゃんの初宮詣りに来た人に「女の子は「小」て嫌よな」と、云って「点」を付けることがあります。
これも可愛いですよ。
この頃の男は何か貧弱です。女の子は元気がいいです。
男ガンバレ、しまいに男の赤ちゃんの眉間に「小」と書かれるよ。


20日(月)曇り時々雨
以前から社頭において、みくじを授与(宗教法人の場合お札・お守り等の販売を授与と云う)する度に思っていたことがあります。
特に若い方ですが、みくじを引いて見るのは吉凶のみで内容は読むこともないのです。
この事に日頃から不快感を得る私は、その人を引き留めて内容を読むように云うことが多々あるのです。
「大吉だから総て良い。凶だから総て悪くはないのですよ」
「中に歌が書かれてあります。内容をよく読んで神の深意を読みとって下さい」と、云います。
時には読んで聞かせ、内容を説明するときもあります。

今日の既成のみくじは、内容的にも大変難しいものが有ります。(難しいから良いと云ってしまえばそれまでですが)
また、みくじは総ての人に当てはめるように、色々なことが書かれてあります。
本来、これは自分に当てはめる願いを選択して、神意知ろうと占うのでしょうが、
どうしても私は、
若い未婚女性にお産のことはいいだろう。
年寄りに学問や恋愛はないだろう。
と、思ってしまいます。
この様なとき、吉凶を抜いたみくじは出来ないものかと日頃考えていました。

恋いに関したみくじならば、吉凶は抜けるのではないだろうかと考えました。
そこで、今回現代美術作家のイチハラヒロコ氏と相談して出来たのが「イチハラヒロコ恋みくじ」なのです。
現代美術作家のイチハラヒロコ氏は、言葉や文字を作品化し世界に発表しています。
彼女はあくまでも作家でありコピーライターではありません。
日本文学に於ける俳句・短歌は世界に誇る芸術であり、彼女の作品も1つ1つメッセージ性を含み世界を巡る芸術なのです。
「恋」に関して吉凶は曖昧さを持ちます。
よって「恋みくじ」に関しては吉凶の文字を廃止できるという考えに至りました。
私は、イチハラヒロコ氏の作品をみくじという媒体に載せることによって、言葉や文字のもつ深い神意から何らかの意味を感じ、神との関わりを持っていただくこと。
広く人々に芸術の本質を知っていただくと云うこと。
この様なことを鑑みて、私は彼女の作品を用いた「イチハラヒロコ恋みくじ」を作りました。

その「イチハラヒロコ恋みくじ」が今日印刷屋様から出来上がってきました。
9月24日(金)の観月祭の日から社頭に置きます。
皆様にこの{イチハラヒロコ恋みくじ」を引いて頂くことによって、吉凶のみに左右されず、その奥にある深い神意を感じ、自らの力で人生をよりよい方向に拓いていく原動力に成り又、「ことば」の大切さ「ことば」の影響を知っていただきたく思います。
そうして、このみくじの一枚一枚が、イチハラヒロコの作品であることも知っていただきたいのです。


12日(日)晴
2日にオランダに出発
関空10:30出発 KL868 アムステルダム 15:15到着
いつも思うことだけど、飛行機に閉じ込めらたままの時間が一番辛い。
友人である陶芸作家のアレクサンダーが、スキポール空港まで迎えに来てくれる。
何と嬉しいことか。
一路アムステルダムのホテルに彼と向かう。
あえてタクシーではなく、電車にする。
3度目のアムステルダムの風景は変わりなく車窓を流れて行く。
懐かしい感じ。アムステルダム中央駅に着きタクシーでホテルに到着。
ホテルにチェックイン。
アレクサンダーとホテルマンとのオランダ語会話は、私には全く判らず。
何故かニタニタ笑いながら表に出ろと云う。
道路の前は運河になっていて、彼はそこに浮かぶボートハウスを指さし、これがお前のルームという。
ボートハウスが私のホテルルーム。
ラッキーなTerauchiさん。と、彼は云う。
本当にこの様なところで泊まれるとは思ってもいなかった。

今回の旅は「もちの基金」のヨーロッパの拠点探しである。
第1回は中村達也
彼は元気にニューヨークで美術に励んでいる。
大したものだ。
第2回はヨーロッパと思っているのだがまだどうなる事やら。
それと、私的なことも兼ねての旅行。
オランダに於ける「もちの木基金」の拠点は、今回の旅行で確保。

6日にプラハに出発
オランダとは違って坂の街。中世の豪壮な町並みが続く。
ここでも偶然な知り合いが出来た。
旅の醍醐味は人とので会い。
片言の英語とジェスチャーで何とかこちらの意志を伝えるのは疲れる。
だけども楽しい出会いの多い旅だった。

10日08:50関空到着。
行く前からオランダのあことここは気を付けろ。
プラハのスリには気を付けろと云われ続けたが、実際の所我が風体のためか何も無く過ごす。
今回は子供のこともあり娘と知人の3人の旅、みんな目的を達したようだ。
帰りの飛行機で10日ぶりの日本の新聞で渋谷の通り魔の記事を見る。そうして2人が亡くなったことを知る。
日本が今一番危険な所ではないかと、話し合った。
今の日本人は目的を無くしている。そうして、一番無くしているのは自立心ではないかと、帰りの飛行機の中で話し合った。
今、思い出すのはプラハの旧市街広場のヤン・フス像の前でパントマイムを演じていた日本のコメディアン二人である。
真剣に生きている日本人も沢山居る事を忘れてはならない。
帰ってきて早速仕事仕事、皆様に迷惑掛けました。
9日間留守にしてごめんなさい。


1日(水)晴後雷雨
11時から月次(つきなみ)祭を総代敬神婦人会一般の参拝者を交えて執り行う。
義理の弟から連絡が入ってお葬式行く。
ご香料を包んでお参りに行くと、受付ではご香料は個人の意志に従って取らないとのこと。
昨今はこの様なことが多くなった。
香料。要するに個人へのお供えである。
仏教ではご香料、ご香儀、ご香前。神道では玉串料、幣帛料、榊料という。
地方では他の呼び名も有るであろうが、要はお香をお供えする代わりにお金でお供えするという趣旨のものである。
神道でも然りである。玉串を供える代わりにお金でと云う事である。
のし袋の熨斗(のし)は、熨斗(アワビを干して薫製にして薄くしたもの、古代の保存食)を送る代わりにお金で代用。
人が亡くなり悲しみに暮れた時、日頃親しい人が集まり、お金を出し合い故人のお得を偲び葬式を執り行う。
お金を皆様が出し合い助け合いの精神で葬儀を執り行った。
これが昔からの習わしであった。
だから貧乏であろうが金持ちであろうが訳隔たり無く、葬儀が執り行えたはず。
これが昨今、見栄の張る場所になり、儀式となり悲しみに暮れる暇がない。
香前の中身の六歩は返すとか何とか変な風習が出来てしまった。
挙げ句の果てはお返しが大変だと、お供えも取らなくなってしまう。
金のない人は、葬式もできない。墓もできない。うっかり死ぬ事もできない。困ったものだ。
お供えをした金額の半分は還ってくると思うから、見栄を張って沢山のお供えをする。それ相応のお供えの金額でいいのに。
お返しは無し、総て故人の為に使ってします。これが亡くなった人への供養。
そうなればお供えのお金は、大変有意義なものになる。
助け合いの精神をもう一度考えたい。見返りのない助け合い。
つい最近まであったように思うのだが。
日本人皆様金持ちになって、見栄っ張りになった。そのとたん忘れたことが多すぎる。