黐木舎


平成11年
8月





31日(火)晴
日めくりのカレンダーが、あんなに分厚かったのに、もう大分薄くなってしまいました。
今頃になって、太平洋高気圧の勢力が強くなったと、ラジオの天気予報で云ってました。
毎日が暑い。
1999 イチハラヒロココトバアートカレンダー
9月は

終わりかも。

考えさせられますね。
終わりにしなければならないもの、沢山あるのではないですか。
引きずっているより、終わりにする方が楽かも知れませんよ。
終わりにするから始まるのかも。


27日(金)曇り
今日電話があった。
男性の方。
頭痛がひどく治らない。知り合いの人が言うのには、氏神様でお祓いをして清めて貰いなさい。
どうしたらよいか。
また、その知り合いの人が言うのには、貴方のご先祖に頭痛もちの人が居て、その霊が浮かばれていない。
その霊が貴方に乗り移っているのだと言うのだが本当だろうか。

お答えします。
私がお祓いしたからと言って、頭痛は治りません。ましてや貴方を清めるという事は、私には出来ません。
しかし、
ご祈祷をする事によって、貴方が貴方自身頭痛を治す自己努力の手助けは出来ます。
ご先祖に頭痛持ちの人が居てその霊が貴方に乗り移ってなんて言ったら、そのご先祖怒ってきます。
ワシのことを引き合いに出すなとね。
人の肉体には5割は自分自身が作ったもの。あとの部分の半分は、父と母から受け継いだもの要するに全体の25%。そうして残り25%の半分は両方の爺さん婆さんからの受け継ぎ。その残りの半分の半分は曾爺さん曾婆さんがら・・・・・と続いていきますから。頭痛持ちの先祖が居て私にそれがと言うのなら、先祖の血がワシには綿々と続いて居るんだと、喜びなはれと云ったのです。
私はそんなご先祖のことまでお祓いできません。ご先祖に叱られます。
どうぞお宮に来て下さい。私は、ご祈祷します。
貴方は、神様に頭痛を治すように努力しますので助けて下さいと願いなさい。
と、云って一件落着。

 人曼陀羅

全体が人です。そうして巻き貝螺旋のように中心に行きますと、皆兄弟でしょうが。(これ何とかの螺旋と云うんだよな)
まるでモンドリアンの絵画のようになりました。
以上私の勝手な解釈です。


26日(木)晴時々曇り
お宮にはいろんな木があります。
昔、1人の老人がお宮にやってきて、もちの木に向かって呪文のようなものを唱えるのです。
此の老人は知的障害者なんですが、大変可愛いところがあり、私の大好きな1人でした。
しかし、此の老人は、もちの木に向かったときだけ、顔が厳しくなり別人のように成るのです。
此の木には女の神様が居とる。ワシには見える。
あの木の割れ目を見てみい。ワシはあそこから生まれた。と真剣に私に言うのです。
あの木はあかん。あの木には足の嫌いな奴が居とる。向こうもワシのことが嫌いで、側を通ると横向きよる。
椿の木を指してアレはいい木じゃ。ワシの妹じゃ。綺麗やろ。
この様な調子でお宮の木のすべに渡って、説明をしてくれる。
共通して云えることは、小さくとも割れ目が有れば女性で、出っ張りがあると男性。どちらとも見えない木は悪いものが住んでる木。と云うことようだ。
木の幹の洞になってる割れ目や、木の股を見てると、得も言われぬエロチズムを感じるときがある。
木は、大地に立つ自然のトルソのようです。                
その老人も亡くなりました。
古代の人々も此の老人と同じように思ったのでしょう。
此の老人は私には見なかった神を実際見ていたのだと思います。

当時から比べ木は少なくなりました。
川も汚くなりました。
もちの木は、川の護岸工事のあと大変痛みがひどく、毎年多額の費用を掛けて延命処置を施しています。


24日(火)曇り時々晴
貴方は人を殺せますか。
私はあの時あの状況にならなかったら、ある人を殺していたかも知れないと思うことが一度だけ有ります。
現実には傷を負わせてしまいました。
今となっては後悔をしています。
結果として後悔するのです。
私は傷を負わせた事への後悔でしたが、しかし状況によっては殺せなかった事への後悔に成るかも知れません。

一体どれだけの人が、無意識の内にどれだけの人を殺していることか。傷つけていることか。
法的には罰せられない事が多いでしょうが、同等の罪です。
誰でも人を殺せます。
文明が発達すればするほど、簡単に人は殺せます。
殺すと云うことが罪であるのと同じように、殺さないと云うことも罪なのです。
総ての人は、多かれ少なかれ罪を背負っています。
私には罪が無いという人間は偽善者の最たるものでしょう。

罪を認めないことが最大の罪でしょう。今こういう人が多すぎる。


23日(月)晴
お宮に樹齢500年近くの楠木があります。
此の木には2つの社は祀られています。民間信仰的の祀られたわけで、俗に言う、みいさんです。
側に川が流れていることもあり、よく蛇が居ました。今も此の木には大きなアオダイショウが住み着いていることは確かです。
しかし、この川も護岸工事が進みコンクリートの堤になり蛇も蛙も亀も川から上がってくることが出来なくなってしまいました。
今、みいさんと云って来るより、「人に聞いたのですが、龍神様は何処に祀っていますか。」と訪ねてくる参拝者が多くなりました。

5年ほど前のことですが精神的に病んだ方が来られました。近くの病院に入院とのこと散歩がてらに来たと云うのです。
病気が治るようにご祈祷して欲しい。
私がご祈祷して病気が治るわけがない事。
しかし、私がご祈祷する事によって貴方が病気を治そうと努力することを神と契約するが出来るならご祈祷します。と、
私は病気平癒のご祈祷には必ず云います。

その時ふとこの人に、御本殿の横に楠木の大木があります。
此の木に触れて何百年生きてる此の木の気を頂いて下さい。気が休まりますよ。と云ってしまったのです。
まるで洒落のような言い方ですが。
何故そう言ったかと云いますと、私自身此の木に手を当てることが大好きで、時折耳を木の肌に当てたりして木が吸う水の音などを聞いていたのです。

それ以来この人は、朝または夕方此の木に抱きつくようになりました。
周りでは大変だったのですが。
楠木に変な人が居て木にしがみついてると、わざわざ云って来られた人も居ました。

20日ほど経ったときでしょうか、この人が社務所に大変なことが起こりましたと、血相を変えて飛んでこられたのです。
木に障っていると、本当に気が休まります。抱きついていると小さな時母親に抱かれている時の事を思い出します。
ちょうど良い具合に木のこぶが有ったのでそれをさすっておりました。するとどう云うことか、そこから芽が出てきたのです。と云うもので、
私と二人で行くと、本当に小さな若葉が出ているのです。不思議なこともあるものです。

この方私に今日医者から後1週間ほどで退院できると云われた事。
此の新芽を見て何か吹っ切れたような気がした事。元気が出てきた気がする事。を、云い何度も涙を流し礼を言うのです。

その後可愛い2人のお嬢様と奥様と4人で挨拶にやって来られました。
その後も参拝された時は木に抱きついて居られます。
その新芽も今では太い枝となっています。

誰かに聞いたのでしょう、今では1日1人は誰か此の木に抱きついています。

皆様一度木に抱きついて下さい。木は暖かいですよ。
耳を当てて下さい。木の音がしますよ。


22日(日)晴
日本の建造物に縁側ある。
これは他の国の建造物には無いものである。
縁側は内と外との共有分部であるが、外国のベランダとは違うのである。
日本の文化を称して私は縁側文化と称している。
日本は間の文化だと云うが、私はその間に何か得体も知れないものがあるのではないかと思うのである。
神主はこの得体も知れない存在その物である。
仏教に於ける僧は中間に存在するものではない。他の宗教に於いてもそうである。宗教者側に存在するのである。
神道による神主はつかさであり、神の言葉を人々に伝え又人々の言葉を神に伝える司人である。
この様な存在は、正に縁側の存在と同じであり得意な存在ではないだろうか。
湯川秀樹氏の中間子論は正に日本人的発想である様に思える。
西洋文化が総てと考えていると、中間子論は発見できなかったであろう。
東洋的発想のその中の日本の縁側文化が湯川秀樹氏を持って中間子を発見せしめたのではないだろうか。
要するに神主は中間子である。


宗教人の最低必要条件
   その1、秘密を守る。他人の秘密を口外してはならない。


20日(金)晴れ
日頃してはならいと思っていながら、知らず知らずの内に自分の意見を押しつけている。
話し合うのではなく、押しつけてしまう。
それは自分が正しいと思っているからだろう。
しかし、正しいと云うことはあるのだろうか。絶対間違っていないと言うことは、あるのだろうか。
自分の考えを持つことは大切なことではあるが、押しつけは良くない。
子供にこうしろと押しつける親が居る。これは大人は間違いはないと思っていることと、自分のコピーを作りたいからであろう。
同じ場で話し合うこと、同じ目線で話し合うこと。これが大切なことであろう。
同じ場、目線とは、相手に会わせると云うことではない。
相手を認めたとき、場であり目線であり分かって来る。
私はそのように思っている。しかし、そう思うことも正しいのかと思い続ける。続ける。・・・・


18日(水)曇り時々晴れ
お宮にいると、色んな人と関わりを持ちます。
私はいつもこの人達と、有る程度の距離を置いて関わるようにしています。
それでないと、よくこの人達が見えないからです。
今日、久しぶりにある女性と会いました。
3人の男の子の居るお母さんです。看護婦をしていて、離婚経験があり今は独身です。
此の女性に、ちょっとした相談を持ちかけられました。
再婚の話です。
相手の男性は6歳下だそうです。
「良かったね」と、云いました。子供も懐いているそうです。
愛することは素晴らしいことです。お互いが認め合い愛すること、こんなに素晴らしいことはありません。
だけど最後にお母さんに子供達とはよく話して、2人良いところだけを見せようとするのではなく悪いところも見せてあげてと言いました。
お母さんの今日の顔は大変美しかったです。幸せになって下さい。色んな問題も起こるでしょうが。


17日(火)晴れ時々曇り通り雨
人に迷惑を掛けるって何だろう。
人間どこかで知らず知らずに迷惑を掛けている。
人の迷惑は棚に上げないくせに、自分の迷惑は棚に上げる。
困ったもんだ。

日本人の羞恥心は何処へ行ってしまったのだろうか。
今の若者は何処でも座り込んでしまう。

先日も地下鉄に載ったとき、下着で出てきた様な若い女の子が入り口で彼と座り込んだ。
座ってる私からは彼女のパンツ丸見え、なんてこった。見たくもないものを見せられる。
高い靴を履いてるためにどうしてもお尻の位置が下がってしまう。
駅について私が降りようとしても立つ気配なし、年老いたお婆さまも降りるのに難儀してる。
「お前ら邪魔や。退け」と言っても女の子は知らぬ顔
「アホか、婆さん降られへんがな」の一言に、男の子は立つが女の子はまだ座り続ける。
彼が彼女の手を引いてやっと立って場所を変える。
その間ほんの数秒だったけど、周りの人達は「私は知りません」と言うような顔、又は顔をそむける。
駅に降りて婆さんは私に何度も礼を言う。

私自身自分が降りにくいので一言云うはずを、お婆さんのせいにした事に少し恥ずかしさを覚える。
しかし、周りの人が知らぬ存ぜずの態度をとったことは何となく許せない。
中年の皆さん、皆様にも自尊心はは有るだろう。
皆様見て見ぬ振りをするような、無視する態度は辞めて欲しい。
家でもそんな事をしているじゃ無いですか。
若者は無視されることを一番嫌がること知ってますか。

昔、電車にて叔母と移動中、叔母と二人前の席が空いたので座って私が足を組んだところ、叔母が足を組むのは辞めなさい。
前の人や通る人に迷惑でしょと、叱られた。今でも電車で座るときその時の事を思い出す。
そうだよね、俺みたいな大きなものが、電車の中で足を投げ出せば邪魔になって迷惑だよな。
因み私は年齢50歳 身長180p 体重80キロ。団塊の世代、中年、今の若者達の親世代。
考えさせられる。

私の通う整体の先生曰く。椅子に腰掛けて足を組む人は、組んで上に来る足の方の腰が悪いそうです。
腰のためには足を組まない方が良いそうですよ。


16日(月)晴れ
天気良し
田舎へ行っていた皆様。疲れたでしょう。
旅行に行っていた皆様。疲れたでしょう。
しかし、
田舎の実家の嫁さん、もっと疲れています。
日頃姑に気を使って居るんだから。
田舎から帰った皆様、帰ってからいたわりの手紙を田舎の嫁さんに送ってやって。

私の知人が云いました。
赤ちゃんが出来て、皆様が出産のお祝い持って来るんだけど、みんな赤ちゃん用品。
一番大変だったのは母親なのに、誰も母親にご苦労さん頑張ったねと、お祝いがない。
せめて旦那様、奥様にいたわりの言葉と、ちょっとした品物送ってやって下さい。


15日(日)雨時々曇り
眠たいよ。朝早かった。京都に行って来た。
今日はお盆です。
「神社はお盆は暇」と言うよりは、「8月が暇」という方が当たっているかも。
宗教家の皆さんがどれだけ宗教を私物化してることか。驚くばかり。
私もそうかもワカラン。偉そうな事云えません。

宗教活動をするにしても、施設を維持管理する為にも、金は大変必要なんです。
布忍神社に来て下さい。現物よりお金お供え下さい。これ本音。
大切なことは、お供えいただいたお金の使い方。
お金、無駄のないように使いますのでお供え下さい。

宗教の見分け方
1.脅す宗教
    先祖の霊チャラ何チャラを持ち出して直ぐに脅しに掛かる。
    予言を云って、恐怖心をあおる。
2.金が絡む
    何でも金、お金を多く供えれば何でも巧く行くように云う宗教
3.お金の使い方
    教化活動をしているかしてないか。これちょっと分かりにくいよな。
    神掛かったような事を云って話を聞かない。しかし話を聞いても最後に1と2を絡めてくる。
この様な事に気を付けてください。

葬式に精出すお寺。結婚式だけやってるお宮(最近教会か)。脅して加持祈祷をする宗教。他宗教をけなして政治に走ってる宗教。

皆様宗教には気を付けましょう。
生身の自分自身の身体に大切なものが宿って居ます。
死んでしまえば終わり。

「私は差別はしません」と云う人間と「私は無神論者です」と云う人間を、私は人間として信用しません。

人間ですから間違いします。私なんか間違いだらけ。
一番沢山お祓いを、加持祈祷を、ざんげをしなくては成らない私です。


14日(土)くもり
今日は一日どんよりとした天気、あぁ何かスッキリしない日、こんな日からこんなページが生まれました。
神社の事務所は藏を改造したところ。事務所に入る度に、俺はお蔵行きかと思う。だけど此の重層ま藏の内部は好きだ。
昔、親父に怒られて此の藏に入れられた。母親が、婆さんがこそっと出してくれる。しかし、ある時泣いても泣いても、誰も出してくれない。
もう二度と悪いことはしないと思ったのに次の日から悪さしていた。
あの時の藏はもっともっと大きかった。今ではあの時の半分のように思える。
そう言えば幼い頃見た風景を最近見て、こんなに小さかったと思ってしまう。
母親も小さくなった。親父に至っては15年前小さな壺に入ってしまった。
俺もいつかは小さく成るんだろうね。もうすぐか、50年生きてしまった。
頭の毛は白くなったというのに、まだ悩に多い尻の青いぐうたら神主兼美術作家です。
こっそりと隠れた場所を借りて本音を書いてみたいと思います。
時には過激に、時にはエロチックに、時には馬鹿げて・・・・。
ここを見つけた人は、不幸だと思って下さい。