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野上八幡宮

鎮座地 和歌山県海草郡野上町小畑625

 
 
 
当八幡宮の由緒は古く、神功皇后は三韓遠征の帰途、誉田皇子(後の応神天皇)と共にこの地に逗留されました。それ故に欽明天皇(550年代)の宣命により、応神天皇の霊を勧請し、八幡宮を建立したと伝えられています。永延元年(987)石清水八幡宮の別宮となりました。万寿2年(1025)京都御所からの宣命により、紀伊国3分の1をもって本殿、末社に至るまで19社中門、回廊、神楽殿等22屋を御造営されました。万寿4年(1027)放生会その他神事一切石清水八幡宮の社例に准じて行うべしとして、石清水から神職葛葉氏を検知職に補任し、熟田210町を以て神領とし、野上庄、現在の四野上(野上町・海南三野上地区)を定め、当社を中心として荘園統治が行われました。これより後は、当宮の隆盛は石清水と並び大社の一つとして崇められました。その後幾多の兵乱をまぬがれましたが、天文10年(1541)根来の衆徒が襲来して、放火略奪を極め、このため社殿・堂社をはじめ財宝文書に至るまで悉く灰燼となり、神事や祭礼も廃絶しました。その後16年を経て、弘治3年(1557)江州(滋賀県)出身の真賢上の御尽力により、再建に着手され、本殿・若宮社を初め拝殿・武内神社も再建されました。 

重要文化財

建造物
  • 本殿 - 三間社流造
  • 拝殿 - 一重入母屋造
  • 武内神社社殿 - 一間社流造
  • 平野今木神社社殿 - 三間社流造
  • 高良玉垂神社社殿 - 一間社流造
美術工芸品
  • 赤銅烏頸太刀 銘真長



 
   
令和元年年5月7日参拝

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