鎮座地 島根県雲南市大東町須我260
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『古事記』によれば、須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、 当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まった。 これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と呼ばれ、 この時に須佐之男命が詠んだ歌が日本初の和歌ということで、「和歌発祥の地」とされている。この宮殿がそのまま神社になったものと伝える |
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」という歌は日本初の和歌と云われている。この歌を須佐之男命がこの須我の地で詠んだという。
そうして、須我神社奥宮があり「夫婦岩」があると聞き参拝した。
神社から夫婦岩のある奥宮まで2qとか、社務所で聞くと近くまで車で行けるとのこと、地図を頂き奥宮まで行くことにした。
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みそぎ場から少しきつい上りの階段が続く。登山道の両側に和歌・俳句などの歌碑・句碑があり読みながら登ると楽しい。 奥宮御祭神は、須佐之男命、奇稲田比売命、清之湯山主三名狭漏彦八島野命である。 |
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八雲山山頂から 望む景色は素晴らしいものでした。遠くに宍道湖を望む。 |
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山頂の歌碑と出口王仁三郎氏の破壊された歌碑など。 |