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積川神社(つがわじんじゃ)

鎮座地 岸和田市積川町349


昔の大坂は、摂津・河内・泉州の3国から成り立っていました。これを摂河泉(せっかせん)と言います。
その内の泉州の国には国宝・重要文化財の社殿が沢山あります。これは、豊臣秀吉が根来攻めに際して多くの社寺を焼き討ちしたことに由来するのです。
豊臣秀吉が亡くなり、徳川家康に政権が移ったとき豊臣の財宝を使わさんが為に、豊臣秀頼に秀吉が焼き討ちした社寺の復興を命じます。
この積川神社もその一つで、片桐且元を普請奉行として大修理を行われました。
この積川神社は積川家のご先祖を奉るお宮です、今の宮司様はこの子孫にあたるわけです。 
私は一度このお宮にお参りをしたいと思っていましたところ、ひょんな事から行く機会に恵まれました。
阪和高速を和歌山に向かって走り岸和田で降り少し走ると牛滝街道の旧道に入ります。この牛滝街道は熊野街道でもあります。
9月から10月にかけては、神社の秋祭りの時期に当たります。
岸和田のだんじり(地車)として日本的に有名になりましたが、岸和田のだんじりは岸和田城にある岸城神社のお祭りだけではなく、岸和田にある何十のお宮を始め、泉州のお宮全体が山手海手でだんじり又はやぐら(車輪は1対でだんじりの原型とも言われる)で巡行が行われるのです。
私が出かけたこの年(平成12年)10月1日は日曜日で、試験曳きと称し予行演習の時と重なり、あちらこちらからだんじり囃子の太鼓と鐘の音が聞こえてきました。
本番の祭りでは大変な賑わいを見せるのだろうと思いながら神社に着くと、そこはもう祭りの前夜祭と言った感じでした。
周囲の山々とあった風情は、海ぎわの風情とはまた違うような気持ちがしました。

積川神社 積川神社

積川神社

積川神社

重要文化財である本殿の細身の柱は桃山様式の特長を色濃く残しています。
優雅さと共に3間社流れ造りの広大さとともに、後ろに広がる森の緑と社殿の朱のコントラストは素晴らしいばかりです。
宮司様のご厚意により本殿前まで案内していただきました。有り難う御座いました。

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