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壺井八幡宮

鎮座地 大阪府羽曳野市壺井605の2

石清水八幡宮の神霊とする壺井八幡宮と、河内源氏三代の源頼信、源頼義、源義家を祀る壺井神社の2社を総じて壺井八幡宮という。
境内は小高い丘にあって、階段を上りきった正面に壺井八幡宮があり、その西側の少し奥まったところに壺井神社がある。
何故横一列に本殿が並ばなかったのかと宮司さんに聞いたところ、地形によるものだろうとの返答はあった。
私には、石清水八幡宮の神霊とする壺井八幡宮を前に出し、源三代が神として祀られようが、一歩後ろに下がり社殿を造らせる古人の気配りを感じました。
壺井の氏神である壺井八幡宮

源氏三代を祀る壺井神社
私は高校生活を南河内の富田林市で過ごした。
今から35年も前のことである。
今とは違い、田園風景の広がるほのぼのとした風景であったように思う。
何故か、我が学年に私を入れて5名の神社の息子が居たのには、驚かされてしまう。
そうしてお寺の住職が、教師で社会を習っていた。
この教師お寺の坊さんだけあって、説教の語り口調で授業をする。
富田林は寺内町であり、江戸時代まで河内源氏縁の通法寺という寺があったが、明治になって廃仏毀釈で三日で何もかもなくなった話し。
「お前等、聖徳太子の墓は何処にあるか知ってるか」
「法隆寺」とある生徒が答えたのを「馬鹿たれ、そこに有るんや。そこに、太子町の叡福寺や」
やれ小野妹子墓は二上山の麓に、竹ノ内街道が日本で一番古い街道とか、楠木正成にいったては我がご先祖のような話しになる。
「ここが、河内飛鳥というや、わかったか」「ここは奈良の飛鳥より古い」と言うのが自慢。
特攻帰りのこの坊さん兼教師に、私は高校1年が始まって2回目の授業で黒板に向かって立たされた。
何が原因か未だ分からない。
通法寺の小さなお寺の住職であったこの教師、一途に河内大好き教師だったのであろう。

壺井八幡宮はこの地の氏神となす社と、河内源氏三代の源頼信、源頼義、源義家を祀る社の2社から成る神社である。
通法寺近辺にはこの三代の墓もある。
高校時代は絶好のデートコースで在ったわけで、良く女子学生を連れて遊びに行ったものである。
そのころの壺井八幡宮は大変荒れていた。
その壺井八幡宮が平成元年の造営を持って甦ったのである。
宮司の苦労は並大抵のものではなかったと思う。
今も奥さんと二人、黙々と境内の掃除をしてる宮司を見ると頭の下がる思いである。
そうして、この高木宮司が私と高校が同じであったことを誇りに思うのである。
源氏三代の墓左から源頼義、源頼信、源義家

右:通法寺跡(礎石だけが点在している) 
左:生類憐れみの令で有名な大僧正隆光の墓
(源頼信の墓の横にあります。)
この通法寺近辺は河内ブドウの産地でもあります。
通法寺・源氏の墓の直ぐ隣までブドウ畑が迫っていて、大変荒れています。
河内名所図絵によると荘厳な通法寺と源義家、源頼信の墓は整然と整備されています。
今から150年前までは、この様な風景だったのかと思うと、一抹の寂しさを感じてしまいました。
境内の大楠
樹齢1000年楠の大木が源家・徳川家の栄華栄華盛衰を初め今までの成り行きを静かに見てきたのでしょう。

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