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名草神社(なくさじんじゃ)

鎮座地 兵庫県養父郡八鹿町石原1755番地の6


名草神社社殿

6月には、二つの台風が日本に上陸するという異常な気象。7月の初めだというのに、まるで梅雨が明けたような天気。今年も水不足に見舞われるのではと思います。
今日は昼から何も用事もなく、明日も仏滅という日のために予定はなく、急に古社巡礼の旅に出ようと思いました。
車に寝袋をのせ少しの資料を携えて、夏祭りの支度をしなければならないという気持ちをかなぐり捨て、神社のことを禰宜(ねぎ)にまかせ7月3日午後4時一人古社巡礼の一泊二日の気ままな旅に出ました。
但馬地方には、日本全国のお菓子屋さんの菓子の祖と崇められている中嶋神社・陶器の出石焼き、出石そばで有名な但馬一の宮の出石(いずし)神社等が鎮座しています。これらの神社は、次の機会にして今回は但馬・八鹿に鎮座する名草(なぐさ)神社を紹介します。
 妙見山と名の付いた山が日本全国にあります。これらの山は妙見信仰における霊山として古来から信仰の対象となされたものです。北極星や北斗七星を神格化し神道では天御中主(アメノミナカヌシ)神、仏教に於いて真言宗では妙見菩薩、天台宗では尊星王大士、日蓮宗では北辰妙見菩薩といい、これを北辰北斗(ホクシンホクト)といいます。
 国道九号線を鳥取方面に走っていると八鹿駅を過ぎる名草神社の道標を右折。さあ、これから名草神社に向かうのだと思うはやる心を抑え、車の窓を開けまわりの初夏の匂い・風・音を感じながらゆっくりと車を走らせたのですが、行けども行けどもそれらしき風景に出会うことなく妙見キャンプ場への分かれ道に到着。看板を見て、まだもう少し向こうだと知り安心しました。高度が高くなるにともない爽やかな風。
 一時間余り走ったでしょうか前方に鉄筋コンクリートの建物(妙見自然の家)と駐車場、やっと着いたのかとの思い。
車を降りて見た驚きは、一言では述べがたいものでした。
 感動とはこんなものでしょうか。名草神社参道の前に立ったとき参道の坂道の奥に朱色に輝く三重塔が樹齢三百年近くの杉の木立の合間から見えたとき空の青さ・木々の緑・土と木肌茶色の中に浮かぶ朱色の造形物、自然の成せる業と先人の匠の業の良さに疲れも忘れ暫したたずみました。
 惜しいことにこの三重の塔の横に在る二つの建物(伊勢神宮の遷宮の払い下げを受けたであろう?建物と、休憩場の鉄筋コンクリートの建物)がなければいいのにと思いました。特にジュースの自動販売機はいただけなく思います。これらの設営も設計段階で何とかすれば、もっと良い物になるのではと悔やまれます。
 明治以前この下の境内には仏教施設が数多く在ったことでしょう。それらの施設は跡形もなく、今は三重の塔のみを残すだけです。
 時計回りで石の階段を上っていくと前方に名草神社の建造物が見えてきます。こけら葺きの屋根、やがて拝殿その奥の本殿の全景が見えたとき、ここに来て良かったと思いました。本当に素晴らしいお宮です。極彩色はほとんど剥落して創建当時の面影は在りませんが、神仏混合の面影を色濃く残しています。
 特に本殿の向拝に力童子、柱には、口を押さえた獅子・耳を押さえた獅子の彫刻が在りますが、この恥じらいの姿を見ていると時間を忘れる思いがしました。
 この名草神社社殿が創建当時の極彩色に飾られたらどんなに素晴らしいことか。一日も早く三重の塔のように元の姿に戻れたならいいかと一人勝手に思いました。
 誰一人と来ることのない境内において名草神社の神々と共にすごせたことを感謝し、又参拝する事を誓いながらこの山を後にしました。
平成9年7月3日記


 
名草神社三重の塔 参道から望む三重の塔
名草神社三重塔             参道から塔を望む


 
塔から神社に向かう参道
塔から社殿に至る参道

名草神社本殿
名草神社本殿

本殿の力童子と獅子
本殿の力童子と獅子

耳を押さえる獅子 口を押さえる獅子
耳を押さえる獅子       口を押さえる獅子

名草神社由緒 地図

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