イチハラヒロコ恋みくじ日記

平成15年 未年 (2003年)

イチハラヒロコ恋みくじ





11月18日(火)晴れ
アッという間に春が過ぎ、ウッという間に夏が過ぎ、エッという間に秋が過ぎようとしている。
オッというともう今年も終わりか。イが抜けているのでここで一言。
イの一番思うことは、来年はよい年でありますように。
この十年余り、年の終わりに毎年そのように言っているように思う。
もういい加減「例年は、良い年になりそうだね」なんて言ってみたいものだ。
イチハラヒロコ恋いみくじ日記の書き込みも長い間行っていなかったのだと、我ながら呆れている。

早いもので、恋いみくじも始まって5年目に入っている。
はじめは口コミで皆さんが引きに来た。
その内に、色々な新聞や雑誌から取材が来るようになり、皆さんの知るところとなった。
この恋みくじは、イチハラヒロコさんの作品でもあるわけで、いろいろな展覧会に彼女は「イチハラヒロコ恋いみくじ」を出品する。
そのおかげで布忍神社神社を知った人は、布忍神社にお参りに来て、恋いみくじを引いて帰っていく。
イチハラヒロコ作品の大好きな人たちは、どんなに遠くからでも機会を見つけてやってくる。
100円のみくじのために、幾らの交通費を掛けてやって来るのかと呆れてしまう時がある。
みくじを引いた人たちは、一喜一憂している姿を見て、これだけ楽しんでくれたのなら、交通費にお金が少し掛かったとしても良いか思って、又機会があればおいでなんて言ってしまう。
彼女の言葉アートに魅せられ、癒された人はどれだけ居ることだろうか。
引いた人々の部屋には、幾枚かの「イチハラヒロコ恋いみくじ」が壁に貼られ、また机の上の写真立ての中に入れられていることであろうか。

「宮司さん、前引いたときはこれやってん」と、いいながら財布の中から綺麗に折りたとまれたみくじを出す。
この子も、イチハラヒロコ恋いみくじをいつも財布に入れて、時には見て思いにはせているのだと思うと、彼女の作品のすごさを感じてしまう。
額に入れられ飾られているだけが、芸術作品ではない。
財布に折り曲げられている「イチハラヒロコ恋いみくじ」もれっきとした作品であり、そいじょそこらの作品とは違う重さを持っている。

このページを見ている人も結構多かった。
それを承知で長い間更新することもなかったが、「イチハラヒロコ恋いみくじ」を引きに来る人は絶えることもなく、本当に楽しく参拝者と接しているわけあるが、何か私はこのところ、恋の相談役のようになってしまっている。
正直言って、宗教人には守秘義務というものがあり、神社で知り得た他人の情報を口外してはならない訳です。
このページに書かれた主要な部分は、一様当事者に了解を得ているわけで、また、了解を得られなかった場合は、それなりの文章処置を執っているわけです。
その様なことが面倒くさくなったと言うこともある訳ですが、本当はただ単にさぼっていたわけです。
悪しからず。
今日、某女性週刊誌から取材があり、「イチハラヒロコ恋いみくじ日記」が2月で終わっていますが、もう「イチハラヒロコ恋いみくじ」は終わったのですか。と、聞かれ慌てて書き込んでいるわけです。
又これからは、頻繁に更新しなければ良くないと思う今日この頃です。

2月15日(土)晴れのち曇り
二人の女性がやって来た。
「みくじ引きたいのですが」といって、一人の女性が、みくじ代として100円差し出した。
「いらしゃい。恋みくじでしょ。はいどちらでも良いですよ」と、相手が恋みくじと言ったわけでもないのに、窓越しにみくじの筒を二つ置く。
「有り難う御座います。これ反対にして振ればいいのですよね」
「そうです。逆さまにして振ると、中から棒が出てきますので、そこに書かれた数字を言ってください」
二人引くものと思っていたのに、どうも一人だけだったようだ。
「10番です」
第10番のみくじを手渡すと、彼女は喜んで「これで私にも、彼が出来るかも」
「出来るよ。絶対出来るね」
その経緯を見ていたもう一人の女性も「私も引く」と言い出した。
「いいの、恋みくじよ」と言い、私に向かって「この子、お腹に赤ちゃん居るの。旦那さんいるんだけど、恋みくじ引いても良いですか」
「そりゃ良いでしょ。旦那様が居ても、その旦那様への愛もあるしね」と答える。
その女の子のお腹は、余り目立たなかったないが、聞けば出産予定日が5月半ばだという。
「良く振って下さい。良く振らないと同じのが出るかも知れないからね」と言うと、最初の彼女とは違うみくじの筒を持って「これならよいでしょ」ガラガラと行きよいよく振って見せた。
筒から飛び出した棒の番号を見て「エエェ。私も10番だ」という。
見るとやはり10番「こんなこと時折あるんだよね。もう一度引きなさい」と告げる。
「良いんですか」と言いながら、もう一度ふり直し、筒を逆さまにする。
出た棒を見て「35番です」

二人は顔を見合わせて驚く。
「この子の赤ちゃん。もう判ってるんです。男の子なんです。」と、一人の彼女は相手の彼女のお腹をまたもやさすりだした
「そうなんだ、生まれてくる子は王子さまなんだ」と思わず手を叩くと、それにつられて、彼女たち二人も手を叩きだし皆で拍手喝采。
もう一人の彼女も「私、今日が21歳の誕生日なんです。今から友達が誕生日のお祝いをしてくれるんです」とはしゃいで帰っていった。

2月12日(水)くもり
昨日は暖かだったのに、一転今日は寒い。
三寒四温。
今年の正月元旦がつい昨日だったように思うのに、もうすでに2月も半ばになろうとしている。
色々な若者が「イチハラヒロコ恋いみくじ」を求めて参拝に来てくれた。
近隣の人たちからは「このようなみくじがこのお宮にあったのは知りませんでした。いつからあったのですか」と、よく質問される。
このみくじが始まったのは平成11年9月24日からである。旧暦の8月の15日仲秋の名月の日からである。
仲秋の名月の日は仏滅と決まっている。
吉凶を抜いたみくじならばと、敢えてこの日から始めた。
その日は、観月祭の日でもあり、芸能奉納として桂蝶六の「パントマイム落語」を行う日で、沢山の人たちが集まっていたのにもかかわらず、このみくじを引いたのは数人であったように記憶している。
それが今では、一日に一人は必ず引きに来るし、休日なんかはこのみくじ目当てに沢山の人がやって来る。
新聞やテレビ、雑誌に載ったせいもあるが、やはり口コミでやって来る人が一番多い。
二度三度とやって来る人。取っ替え引っ替え友達を変えてやって来る人。
そのような中で三人の同級生の女の子がやってくる。
この女の子達がやって来ると、お宮に花が咲いたようになる。
何せ明るい、賑やか、本当にお宮中に三人の笑い声が響き渡る。
一人は、結婚していて、すごくこの夫婦は仲が良いという。後の二人は独身だが、屈託のない可愛く明るい。
その一人は、いつ引いてもそれなりに良い文句のみくじを引く。
しかしもう一人は、その正反対にいつも別れバージョン。

昨日も彼女達がやって来た。
そうして、この内の一人が、明日勤め先の福知山に帰るという。
結婚をしてるという彼女が引き、みくじを見て「当たってるわ」と関心してニヤリ。
イチハラヒロコ恋みくじ
それを見た二人、違うみくじの筒を持って引いたところ、なんと同じ番号。
第20番
イチハラヒロコ恋みくじ

「良かったね。これで心おきなく、福知山に帰れるね」「がんばれ福知山」と、つい私も口から出てしまった。
「あなたの周りには、沢山の制服を着た格好いい男が沢山居るのでは」というと、「わたし、少し高望みするもので」と、言葉が帰ってきた。
そうして、この三人今まで引いたみくじを財布から出して、見比べてワイワイガヤガヤ。
やがて帰っていく三人を見ていると、私までもが楽しくなってくる。

1月3日(金)曇りのち雨
昨年12月半ばにね情報誌「関西ウオーク」にこの「イチハラヒロコ恋みくじ」のことが記載された。
正月前から、京都・滋賀・神戸・奈良。三重の関西一円から「イチハラヒロコ恋みくじ」を引きに来る。
特急「白兎」に乗って鳥取から来た。
みくじを引いて、又特急「白兎」に乗って

年明けて、この三日間「イチハラヒロコ恋みくじ」を引きに来る人で、一杯になる。
泣き笑いの「イチハラヒロコ恋みくじ」が始まった。
これらの人たちには、イチハラヒロコを知る人、知らぬ人色々です。
現代美術に無縁な人でも、このみくじを通じ、イチハラヒロコ作品に一喜一憂します。
そうして、現代美術の片鱗にちょっと触れて帰ってくれるのは嬉しいですね。

今日も豊中から来た2人女性、厄払いのご祈祷を受けて、さて恋いみくじを引く。
「愛は速攻。」「すききなら好きと、言えよ。」
この二人数え歳で33歳と32歳。
これみくじの言葉、行動が足りなかったのか、ともに独身。
彼女らに一言「このみくじ通りすれば、今年は良い人見つかるよ」と言うと、彼女たち、爆笑の後、真剣な顔で「がんばります」と一言。

本当に皆様、このみくじ本当に当たるんですよ。